丸山 岩雄|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0051996 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
丸山 岩雄
まるやま いわお
法華経の精神を活かし、波田と有明に青年修練道場「瑞穂精舎」を開設、運営。肥料・飼料で地域農業に貢献。
生年月日 | 1881年(明治14) |
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没年月日 | 1949年(昭和24) |
関連地域 | 堀金(小田多井) |
職業・肩書 | 実業家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(宗教)・産業 |
経歴
堀金小田多井に生れました。1900年(明治33)、19歳のとき、小田多井の生家で肥料商を開業しました。この頃、下堀の法華経行者、中田常太郎の祈祷疾患治癒(きとうしっかんちゆ)のことが機縁となり、法華経の信仰に入りました。1914年(大正3)、実業家渋沢栄一の立志伝を読んで発奮し、松本伊勢町に転居、米穀商・肥料飼料卸兼小売商を開業しました。農事米作肥料法について学び、中信肥料商業組合理事長、長野県肥料卸商組合理事を務め、農業の向上、同業組合の発展に尽しました。1919年(大正8)に松本法華会会長となり、町村団体の講師として法華会講習会を数千回開催しました。1940年(昭和15)、全財産を投じて瑞穂精舎有明道場を建設し、翌1941年(昭和16)に落成・開道し、道場長を9年間勤めました。
略歴譜
1881年(明治14) | 堀金小田多井の曽乃弥の長男に生れる。 |
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1900年(明治33) | 小田多井の生家で肥料商を開業する。この頃、下堀の法華経行者中田常太郎の祈祷疾患治癒が機縁で、法華経の信仰に入る。 |
1914年(大正3) | 実業家渋沢栄一の立志伝を読んで発奮、大志を抱いて松本伊勢町に転居、米穀商・肥料飼料卸兼小売商を開業する。 |
三井三菱との特約、ドイツのハーレンス硫安会社から硫安直輸入に成功し、巾上に肥料倉庫3棟、北松本駅構内に倉庫を建てる。 | |
松本市公会堂において、大正天皇御大典記念大講演会を主催する。 | |
1919年(大正8) | 松本法華会会長となる。 |
1923年(大正12) | 方面委員制度実施以来、17年間勤続する。関東大震災では深川で罹災者の救済に当る。 |
松本公会堂で農事養蚕講習会を開催し、私設図書館と修養場を自宅に設けて、農業関係図書を無料で貸し出したりして開放する。 | |
1929年(昭和4) | 和合恒男・代田文誌と計り、青年修錬道場瑞穂精舎波田道場を建設し、開道する。 |
1940年(昭和15) | 節目となる出来事が続き、実業界を引退し、中堅青年の人物養成に専念する。 |
全財産を投じて瑞穂精舎有明道場を建設し、翌1941年(昭和16)に落成・開道し、道場長を9年間勤める。 | |
終戦前後、明大教授河合陟・鈴木うた子女史と計り、天皇陛下に「日本教学論」を献上する。 | |
1949年(昭和24) | 亡くなる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |