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丸山 宗吉|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0051999 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

丸山 宗吉

 まるやま そうきち

 三代にわたる寺子屋師匠。子弟は500人に及ぶといわれる。

生年月日 江戸
没年月日 1847年(弘化4)
関連地域 明科(小泉神谷)
職業・肩書 寺子屋師匠
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 明科小泉神谷に生れました。諱(いみな)は、正次と称しました。天明年間に寺子屋師匠となり、読み書きを教えました。子の宗頼、孫の宗正も師匠になり、3代にわたる小泉・中村・寺村の子弟は、500人に及ぶといわれました。宗吉は1847年(弘化4)に、84歳で亡くなりました。1899年(明治32)5月に、門人等が相談して、三宅逸平次の子の漢学者降幡みさごの撰并書による3人の筆塚を建てました。

略歴譜

生年不詳   明科小泉神谷に生れる。
    諱は、正次と称する。
天明年間   寺子屋師匠になり、読み書きを教える。
1847年(弘化4) 84歳 亡くなる。
    子の宗頼・孫の宗正も師匠になる。
    3代にわたる小泉・中村・寺村の子弟は500人に及ぶといわれる。
1899年(明治32)5月   門人等が相談して、三宅逸平次の子の漢学者降幡みさごの撰并書による、3人の筆塚を建てる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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