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丸山 宗頼|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052001 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

丸山 宗頼

 まるやま むねより

 三代にわたる寺子屋師匠。子弟は500人に及ぶといわれる。

生年月日 不詳
没年月日 1872年(明治5)
関連地域 明科(小泉神谷)
職業・肩書 寺子屋師匠
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(教育)

経歴

 明科小泉神谷に生れました。諱(いみな)は、宗左衛門と称しました。庄屋を勤め、余暇に師匠をしました。親の宗吉、子の宗正も師匠になり、3代にわたる小泉・中村・寺村の子弟は、500人に及ぶといわれました。宗頼は、1872年(明治5)に、82歳で亡くなりました。1899年(明治32)5月に、門人等が相談して、三宅逸平次の子の漢学者降幡みさごの撰并書による、3人の筆塚を建てました。

略歴譜

生年不詳   明科小泉神谷に生れる。
    諱は、宗左衛門と称する。
    庄屋を勤め、余暇に師匠をする。
1872年(明治5) 82歳 亡くなる。
    親の宗吉・子の宗正も師匠になる。
    3代にわたる小泉・中村・寺村の子弟は、500人に及ぶといわれる。
1899年(明治32)5月   門人等が相談して、三宅逸平次の子の漢学者降幡みさごの撰并書による、3人の筆塚を建てる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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