丸山 富子|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052005 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
丸山 富子
まるやま とみこ
太平洋戦争直前、信濃毎日新聞に反戦詩を発表。
生年月日 | 1921年(大正10)1月16日 |
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没年月日 | 1943年(昭和18) |
関連地域 | 穂高(久保田) |
職業・肩書 | 文芸家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
穂高久保田の農家に生れました。ほとんど独学で詩を学び、詩作し、短編小説「杉苔」他を信濃毎日新聞文芸欄等に投稿しました。官憲の思想検閲が厳しくなる中、勇気を出して兄の戦死を嘆く反戦散文詩「散りぬるを」を、信濃毎日新聞学芸欄で発表しました。この詩には、鋭敏な感性や家族愛・正義感・戦争否定・歴史観が表出されていて、現在でも読者に感動を与えています。日露戦争に出征した弟を嘆いた、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は全国にセンセーションを巻き起こしましたが、富子のこの作品は「君死にたまふことなかれ」に肩を並べる反戦詩であると言われています。また、富子は、文芸家・演劇家の清沢清志を人生と文学の師として傾倒し、慕いました。
略歴譜
1921年(大正10)1月16日 | 穂高久保田の農家に生れる。 |
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市立松本女子職業学校松本職業学校(現松本美須々丘高等学校)を卒業する。 | |
家事を手伝いながら、信濃若草会(東筑片丘村北熊井)発行の文芸誌『桑の実』の同人となる。 | |
ほとんど独学で詩を学び、詩作し、短編小説「杉苔」他を信濃毎日新聞文芸欄等に投稿する。 | |
1941年(昭和16)9月18日 | 官憲の思想検閲が厳しくなる中、兄の戦死を嘆く反戦散文詩「散りぬるを」を、信濃毎日新聞学芸欄で発表する。 |
1943年(昭和18) | 病気のため亡くなる。 |
参考文献
同人誌「かおす」116号 | かおすの会/発行 |
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