岩原 愛策|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052007 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
岩原 愛策
いわはら あいさく
梓橋・田沢橋・郡内道路・拾ヶ堰の改修。烏川村長、県議。
生年月日 | 1870年(明治3) |
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没年月日 | 1923年(大正12) |
関連地域 | 堀金(上堀) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
堀金上堀の旧家「ならや」に生まれました。1889年(明治22)に烏川役場書記に選任、1895年(明治28)、烏川役場収入役に抜擢され2期7年間勤めました。1902年(明治35)には烏川村長となり、村長第2期8年間就任中に、堀金小学校本校舎を建築し、村の教育環境は面目を一新したほか、村基本財産の増成を意図して、岩原区の国有林36町歩の払い下げを受け、剰余金5千円を獲得しました。南安曇郡道路調査委員として、梓橋・田沢橋等の橋梁、郡内道路の改修に奔走し尽力しました。1915年(大正4)に県会議員に当選し、ただちに参事会員に推挙されました。また、県治水調査委員の時に拾ヶ堰の改修工事を行いました。このほか、飯田慶司と共に尽力して、南安曇農学校設置に成功しました。
略歴譜
1870年(明治3) | 堀金上堀の旧家「ならや」に生まれる。 |
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1889年(明治22) | 烏川役場書記に選任される。 |
1895年(明治28) | 烏川役場収入役に抜擢され、2期7年間勤める。 |
1902年(明治35) | 烏川村長となり、2期8年間勤める。 |
1905年(明治38) | 村長第2期就任中に、堀金小学校本校舎を建築し、村の教育環境は面目を一新する。 |
村基本財産の増成を意図して、岩原区の国有林36町歩の払い下げを受け、剰余金5千円を獲得し、感謝状と金盃が贈られる。 | |
南安曇郡道路調査委員として、梓橋・田沢橋等の橋梁、郡内道路の改修に奔走し尽力する。 | |
1915年(大正4) | 県会議員に当選し、ただちに参事会員に推挙される。 |
県治水調査委員の時、堰管理者黒岩重義等と共に、拾ヶ堰改修の精密な調査を行って計画し、幾多の難関を乗り越え工事を行う。 | |
1919年(大正8) | 起工から3年で、この難事業は完成し、拾ヶ堰水利組合から感謝状と金盃が贈られる。 |
飯田慶司と共に尽力して、南安曇農学校設置に成功する。 | |
1923年(大正12) | 上堀区平木の耕地整理に奔走中に病気のため、死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |