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吉水 林冏|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052009 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

吉水 林冏

よしみず りんけい

 明科の給然寺20世村上嶺海の弟子となり、21世住職を継ぎ、後に山形村見性寺に転じる。

生年月日 1842年(天保13)
没年月日 1924年(大正13)9月24日
関連地域 明科(宮本)
職業・肩書 住職
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(宗教)

経歴

  松本市和泉町の塚田氏の家に生れました。明科中川手宮本の給然寺20世村上嶺海の弟子となり、法灯を継ぎ、21世住職となりました。1889年(明治22)には、今までなかった本堂の建立に尽力し、五常村麻生より堂を譲り受け、移転して建てました。また、寺宝として残る「まんだら」の大きな掛軸も、江戸芝の大本山増上寺福田行誡上人より譲り受けました。
後に、師の後を継ぎ、山形村見性寺に転じて、1924年(大正13)に亡くなりました。

略歴譜

1842年(天保13) 0歳 松本市和泉町の塚田氏の家に生れる。 
    明科中川手宮本の給然寺20世村上嶺海の弟子となる。
    法灯を継ぎ、21世住職となる。
1889年(明治22)   今までなかった本堂の建立に尽力し、五常村麻生より堂を譲り受け、移転して建てる。
    寺宝として残る「まんだら」の大きな掛軸を、江戸芝の大本山増上寺福田行誡上人より譲り受ける。
    後に、師の後を継ぎ、山形村見性寺に転じる。
1924年(大正13)9月24日 82歳 亡くなる。

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