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吉水 林冏|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052009 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

吉水 林冏

よしみず りんけい

 明科の給然寺20世村上嶺海の弟子となり、21世住職を継ぎ、後に山形村見性寺に転じる。

生年月日 1842年(天保13)
没年月日 1924年(大正13)9月24日
関連地域 明科(宮本)
職業・肩書 住職
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(宗教)

経歴

  松本市和泉町の塚田氏の家に生まれました。明科中川手宮本の給然寺20世村上嶺海の弟子となり、法灯を継ぎ、21世住職となりました。1889年(明治22)には、今までなかった本堂の建立に尽力し、五常村麻生より堂を譲り受け、移転して建てました。また、寺宝として残る「まんだら」の大きな掛軸も、江戸芝の大本山増上寺福田行誡上人より譲り受けました。
後に、師の後を継ぎ、山形村見性寺に転じて、1924年(大正13)に死去。

略歴譜

1842年(天保13) 松本市和泉町の塚田氏の家に生まれる。 
  明科中川手宮本の給然寺20世村上嶺海の弟子となる。
  法灯を継ぎ、21世住職となる。
1889年(明治22) 今までなかった本堂の建立に尽力し、五常村麻生より堂を譲り受け、移転して建てる。
  寺宝として残る「まんだら」の大きな掛軸を、江戸芝の大本山増上寺福田行誡上人より譲り受ける。
  後に、師の後を継ぎ、山形村見性寺に転じる。
1924年(大正13)9月24日 死去。

 

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市図書館

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