久保田 文三|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052010 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
久保田 文三
くぼた ふみぞう
俳人。京都花の本宗家第十一代宗匠聴秋に師事し、宗匠の免許を与えられ、陸郷村の俳句の中心的な存在として活躍する。
| 生年月日 | 1882年(明治15)1月1日 |
|---|---|
| 没年月日 | 1959年(昭和34)6月4日 |
| 関連地域 | 明科(中村) |
| 職業・肩書 | 俳人 |
| 活躍年 | 大正時代 |
| ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
明科中村で生まれました。家業の瓦作りに従事し、余暇に俳道に入りました。京都花の本宗家第十一代宗匠聴秋に師事して、宗匠の免許を与えられ、俳号を石村と称し、同好の士と共に活躍しました。明治中期の遠藤錦濤・関喝采の後を引き継ぎ、大正時代からは陸郷村の俳句の中心的な存在となって句会を開きました。1914年(大正3)、登波離橋東の山腹に、師匠の聴秋の句碑、「鶴にのるおもいや春の雲の上」を陸郷村の同志と協力して建てました。以来、諸寺堂に句額を残しました。還暦になり、出家を志して高野山遍照光院に三度入山して、宗門生活を18年間続け、この間に生坂村小立野乳房堂・中村専光寺大日堂堂守等を歴任し、中村公園に四国八十八箇所巡礼塔を建てました。
略歴譜
| 1882年(明治15)1月1日 | 明科中村に生まれる。 |
|---|---|
| 家業の瓦作りに従事し、余暇に俳道に入る。 | |
| 京都花の本宗家第十一代宗匠の聴秋に師事する。 | |
| 宗匠の免許を与えられ、俳号を石村と称し、同好の士と共に活躍する。 | |
| 明治中期の遠藤錦濤・関喝采の後を引き継ぎ、大正時代からは陸郷村の俳句の中心的な存在となって句会を開く。 | |
| 1914年(大正3) | 登波離橋東の山腹に、師匠の聴秋の句碑、「鶴にのるおもいや春の雲の上」を陸郷村の同志と協力して建てる。 |
| 以来、諸寺堂に句額を残す。 | |
| 還暦になり、出家を志して、高野山遍照光院に三度入山。「大律師石村」の法名を授かり、宗門生活を18年間続ける。 | |
| この間に、生坂村小立野乳房堂・中村専光寺大日堂堂守等を歴任する。 | |
| 1944年(昭和19) | 中村公園に四国八十八箇所巡礼塔を建てる。 |
| 1959年(昭和34)6月4日 | 死去。 |
参考文献
| 明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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