宮下 主枝|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052011 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
宮下 主枝
みやした かずえ
七貴村初代戸長となる。東京で煙草商に従事し、煙草を万国博覧会に出品し、受賞する。
生年月日 | 江戸 |
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没年月日 | 1898年(明治31)9月15日 |
関連地域 | 明科(上押野) |
職業・肩書 | 商業功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科上押野に宮下孫左衛門の子として生れました。父の後を継いで名主となり、1873年(明治6)に戸長となりました。1875年(明治8)に、七貴村初代戸長となりました。
1876年(明治9)に、東京へ出て麹町に居住し、煙草商に従事しました。1883年(明治16)には、オランダのアムステルダム万国博覧会に、煙草を出品して銀賞を受賞し、1885年(明治18)にはアメリカのオルレヤンス万国博覧会にも出品して、一等賞を受賞しました。しかし、1897年(明治30)、病気のため帰郷し、翌1898年(明治31)9月15日に亡くなりました。
略歴譜
江戸 | 明科上押野に、宮下孫左衛門の子として生れる。宮下一枝ともいう。 | |
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父の後を継いで名主となる。 | ||
1873年(明治6) | 戸長となる。 | |
1875年(明治8) | 七貴村初代戸長となる。 | |
1876年(明治9) | 東京へ出て麹町に居住し、煙草商に従事する。 | |
1883年(明治16) | オランダのアムステルダム万国博覧会に、煙草を出品して銀賞を賜る。 | |
1885年(明治18) | アメリカのオルレヤンス万国博覧会にも出品して、一等賞を賜る。 | |
1897年(明治30) | 病気のため帰郷する。 | |
1898年(明治31)9月15日 | 55歳 | 亡くなる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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