熊井 啓|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052017 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
熊井 啓
くまい けい
社会派の映画監督。名誉市民。
生年月日 | 1930年(昭和5)6月1日 |
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没年月日 | 2007年(平成19)5月23日 |
関連地域 | 豊科(吉野) |
職業・肩書 | 映画監督 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 社会(報道出版) |
経歴
豊科吉野に生まれ、幼少時代の6年余を過しました。1936年(昭和11)に松本市に移住し、その後、田町小学校・松本中学校(現深志高等学校)を経て、旧制松本高等学校文科(現信州大学文理学部)を修了しました。1949年(昭和24)に信州大学文理学部に入学し、演劇部「山脈」で演出をしながら、多数の公演をしました。会社員志願でしたが、恩師のドイツ文学者望月市恵の説得で、卒業後に映画界入りしました。1954年(昭和29)、独立プロを経て日活撮影所に入社し、阿部豊・田坂具隆・久松盛次等の助監督を務めました。1964年(昭和39)、映画「帝銀事件・死刑囚」で監督デビューし、翌年には、映画「日本列島」が、日本映画協会新人賞を受賞しました。2001年(平成13)、松本サリン事件を題材にした衝撃作映画、「日本の黒い夏-冤罪-」を制作しました。
略歴譜
1930年(昭和5)6月1日 | 豊科吉野に生まれる。幼少時代の6年余を過ごす。 |
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1936年(昭和11) | 松本市に移住し、田町小学校を経て松本中学校(5学年制)を卒業する。 |
1953年(昭和28) | 信州大学文理学部社会学科を卒業する。 |
1954年(昭和29) | 独立プロを経て日活撮影所に入社する。阿部豊・田坂具隆・久松盛次等の助監督を務める。 |
1964年(昭和39) | 映画「帝銀事件・死刑囚」で監督デビューする。 |
1965年(昭和40) | 映画「日本列島」が、日本映画協会新人賞を受賞する。 |
1974年(昭和49) | 映画「サンダカン八番娼館・望郷」が、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、アメリカアカデミー賞にノミネートされる。 |
1995年(平成7) | 紫綬褒章を受章する。 |
2001年(平成13) | 映画「日本の黒い夏-冤罪-」(旧松本高校校舎・豊科でロケ)を制作し、松本サリン事件を題材にした衝撃作となる。 |
2001年(平成13) | 「日本の黒い夏-冤罪-」が、ベルリン国際映画祭で日本人で2人目となるベルリナーレ・カメラ賞を受賞する。 |
2002年(平成14)3月 | 豊科町名誉町民となる。 |
2007年(平成19)5月23日 | 亡くなる。 |
2011年(平成23)2月11日 | 豊科新田の豊科交流学習センター「きぼう」内に熊井啓記念館が開館する。 |
参考文献
旧制高等学校記念館所蔵資料 | ||
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熊井啓記念館資料 | ||
写真:安曇野市豊科郷土博物館所蔵資料 |