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熊井 啓|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052017 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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熊井 啓
くまい けい

社会派の映画監督。名誉市民。

生年月日 1930年(昭和5)6月1日
没年月日 2007年(平成19)5月23日
関連地域 豊科(吉野)
職業・肩書 映画監督
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 社会(報道出版)

 

経歴

豊科吉野に生れ、幼少時代の6年余を過し、1936年(昭和11)に松本市に移住し、その後、田町小学校・松本中学校(現深志高等学校)を経て、旧制松本高等学校文科(現信州大学文理学部)を修了しました。1949年(昭和24)に信州大学文理学部に入学し、演劇部「山脈」で演出をしながら、多数の公演をしました。会社員志願でしたが、恩師のドイツ文学者望月市恵の説得で、卒業後に映画界入りしました。1954年(昭和29)、独立プロを経て日活撮影所に入社し、阿部豊・田坂具隆・久松盛次等の助監督を勤めました。1964年(昭和39)、映画「帝銀事件・死刑囚」で監督デビューし、翌年には、映画「日本列島」が、日本映画協会新人賞を受賞しました。2001年(平成13)、松本サリン事件を題材にした衝撃作映画、「日本の黒い夏-冤罪-」を制作しました。

略歴譜

1930年(昭和5)6月1日 0歳 豊科吉野に生れる。幼少時代の6年余を過ごす。
1936年(昭和11)   松本市に移住し、田町小学校を経て松本中学校(5学年制)を卒業する。
1953年(昭和28)   信州大学文理学部社会学科を卒業する。
1954年(昭和29)   独立プロを経て日活撮影所に入社する。阿部豊・田坂具隆・久松盛次等の助監督を勤める。
1964年(昭和39)   映画「帝銀事件・死刑囚」で監督デビューする。
1965年(昭和40)   映画「日本列島」が、日本映画協会新人賞を受賞する。
1974年(昭和49)   映画「サンダカン八番娼館・望郷」が、ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、アメリカアカデミー賞にノミネートされる。
1995年(平成7)   紫綬褒章を受章する。
2001年(平成13)   映画「日本の黒い夏-冤罪-」(旧松本高校校舎・豊科でロケ)を制作し、松本サリン事件を題材にした衝撃作となる。
2001年(平成13)   「日本の黒い夏-冤罪-」が、ベルリン国際映画祭で日本人で2人目となるベルリナーレ・カメラ賞を受賞する。
2002年(平成14)3月 71歳 豊科町名誉町民となる。
2007年(平成19)5月23日 76歳 亡くなる。
2011年(平成23)2月11日   豊科新田の豊科交流学習センター「きぼう」内に熊井啓記念館が開館する。

参考文献

旧制高等学校記念館所蔵資料    
熊井啓記念館資料    
写真:安曇野市豊科郷土博物館所蔵資料    

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