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古川 栄一郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052145 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

古川 栄一郎
ふるかわ えいいちろう

水田用馬耕犂(すき)の改良・発明に尽力して、「古川式改良犂」を考案し、農家の需要に応える。

生年月日 1871年(明治4)
没年月日 1942年(昭和17)
関連地域 豊科(真々部)
職業・肩書 農具発明家
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

豊科真々部に生れました。馬による耕起は、明治20年代から始められましたが、末期の犂は片側だけに耕起反転する、いわゆる「片鋤(すき)」でした。栄一郎は、豊科上鳥羽に工房を設け、水田用馬耕犂の改良に努力しました。1908年(明治41)、ついに犂底の可動傾斜によって、右に左に耕起反転可能な改良犂を発明しました。1910年(明治43)、群馬県主催一府一四県共進会に出品して、三等賞銅牌を、翌1911年(明治44)、帝国農会主催全国農具展覧会に出品して、四等賞を、1912年(明治45)には、松本工芸品評会に出品して、二等賞を獲得しました。このほかにも麦作用の古川式改良カルチペーター(家畜牽引用)等を作り出し、犂と共にその需要は戦後まで続きました。
1942年(昭和17)、71歳で亡くなりました。

略歴譜

1871年(明治4) 0歳 豊科真々部に生れる。
明治   豊科上鳥羽に工房を設け、水田用馬耕犂の改良に努力する。
1908年(明治41)   犂底の可動傾斜によって、右に左に耕起反転可能な改良犂を発明する。
1910年(明治43)   群馬県主催一府一四県共進会に出品して、三等賞銅牌を獲得する。
1911年(明治44)   帝国農会主催全国農具展覧会に出品して、四等賞を獲得する。
1912年(明治45)   松本工芸品評会に出品して、二等賞を獲得する。
    麦作用の古川式改良カルチペーター(家畜牽引用)等を作り出す。
1942年(昭和17) 71歳 亡くなる。

参考文献

豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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