古川 栄一郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052145 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
古川 栄一郎
ふるかわ えいいちろう
水田用馬耕犂(すき)の改良・発明に尽力して、「古川式改良犂」を考案し、農家の需要に応える。
生年月日 | 1871年(明治4) |
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没年月日 | 1942年(昭和17) |
関連地域 | 豊科(真々部) |
職業・肩書 | 農具発明家 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
豊科真々部に生れました。馬による耕起は、明治20年代から始められましたが、初期の犂は片側だけに耕起反転する、いわゆる「片鋤(すき)」でした。栄一郎は、豊科上鳥羽に工房を設け、水田用馬耕犂の改良に努力しました。1908年(明治41)、ついに犂底の可動傾斜によって、右に左に耕起反転可能な改良犂を発明しました。1910年(明治43)、群馬県主催一府一四県共進会に出品して、三等賞銅牌を、翌1911年(明治44)、帝国農会主催全国農具展覧会に出品して、四等賞を、1912年(明治45)には、松本工芸品評会に出品して、二等賞を獲得しました。このほかにも麦作用の古川式改良カルチペーター(家畜牽引用)等を作り出し、犂と共にその需要は戦後まで続きました。
1942年(昭和17)、71歳で亡くなりました。
略歴譜
1871年(明治4) | 豊科真々部に生れる。 |
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明治 | 豊科上鳥羽に工房を設け、水田用馬耕犂の改良に努力する。 |
1908年(明治41) | 犂底の可動傾斜によって、右に左に耕起反転可能な改良犂を発明する。 |
1910年(明治43) | 群馬県主催一府一四県共進会に出品して、三等賞銅牌を獲得する。 |
1911年(明治44) | 帝国農会主催全国農具展覧会に出品して、四等賞を獲得する。 |
1912年(明治45) | 松本工芸品評会に出品して、二等賞を獲得する。 |
麦作用の古川式改良カルチペーター(家畜牽引用)等を作り出す。 | |
1942年(昭和17) | 亡くなる。 |
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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