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故念 和尚|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052146 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

故念 和尚
こねん おしょう

宗源寺(宗林寺)を創建・開山した住職。能筆で漢詩を作ることも巧みであった。

生年月日 不詳
没年月日 不詳
関連地域 明科(北村)
職業・肩書 住職
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(宗教)

 

経歴

葛尾城主村上義清の三男と伝えられています。武州鴻巣(こうのす)の勝願寺から明科へ来て、1575年(天正3)に、宗源寺(宗林寺)を創建・開山しました。昔の村上氏の家来もやって来て、弟子となり仕え、寺内に三つの支院を建てました。また、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊を本堂に安置し、その昔、周満が丹波島の犀川から拾って来た、釈迦如来の仏像も堂に安置したといわれています。書も大変達筆で、漢詩を作ることも巧みであったといわれ、有明山を望む連峯積雪白雲ノ間 屹立層層色又斑 堪賞ス天工自然ノ画 銀屏囲繞ス有明山 「有明山を望む」という漢詩を残しています。

略歴譜

生年不詳   葛尾城主村上義清の三男と伝えられている。
    武州鴻巣の勝願寺から明科へ来る。
1575年(天正3)   宗源寺(宗林寺)を創建・開山する。
    昔の村上氏の家来もやって来て、弟子となり仕え、寺内に三つの支院を建てる。
    阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊を本堂に安置する。
    その昔、周満が丹波島の犀川から拾って来た、釈迦如来の仏像も堂に安置したといわれている。
    書も大変達筆で、漢詩を作ることも巧みであったといわれ、「有明山を望む」という詩を残している。
没年不詳   亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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