降幡 数太郎|安曇野ゆかりの先人たち
降幡 数太郎
ふりはた かずたろう
自治功労者。小倉村助役、村長を歴任。発電を開始し、小倉官林約600町歩の開墾・水道の普及等村の自治に尽力する。農村経済恐慌のなか、大旱魃(かんばつ)等に見舞われた際に、六か村開墾組合の経営に血のにじむような苦心を払う。
生年月日 | 1869年(明治2) |
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没年月日 | 1941年(昭和16) |
関連地域 | 三郷(南小倉) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
三郷南小倉に生まれました。1889年(明治22)、小倉村役場書記となりました。郡会議員を8年間勤め、1910年(明治43)に助役となりました。1919年(大正8)、黒沢電気会社を創設し、同時期に発足した安曇電気株式会社と折衝して、発電を開始し、小倉に点灯するようになりました。1919年(大正8)に小倉村長に就任しました。小倉官有林約600町歩の大耕地開墾の管理者となって、全責任を持って指揮し、1931年(昭和6)にほぼ終了しました。さらに、簡易水道の普及、学校校舎の統合、教員住宅・役場庁舎を改築したほか、小倉地区に郵便局を開局する等、村政に大きく貢献しました。また、自動車会社を設立して運輸の便も図りました。 特に、大正後期から昭和初期にかけては、農村経済恐慌のなか、大旱魃(かんばつ)・凍冷害に見舞われ、農村の疲弊は極度に達し、六か村開墾組合の財政が窮乏して、血のにじむような苦心を払いました。1941年(昭和16)に死去。村民は、その逝去を悼み、準村葬が行われました。
略歴譜
1869年(明治2) | 三郷南小倉に生まれる。 |
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1889年(明治22) | 小倉村役場書記となる。 |
郡会議員を8年間勤める。 | |
1910年(明治43) | 助役に就任する。 |
1919年(大正8) | 黒沢電気株式会社を創設し、同時期に発足した安曇電気株式会社と折衝して、発電を開始し、小倉に点灯するようになる。 |
1919年(大正8) | 小倉村長に就任し、小倉官有林約600町歩の管理者となり、農林省への対応等、全責任を持って指揮する。 |
1922年(大正11) | 小倉開墾地の簡易水道に着手し、全戸給水が実現する。 |
1923年(大正12) | 村長に再選され、その間、産業組合が組織されて、初代会長に選ばれ兼任する。 |
1925年(大正14) | 赤沢より地下水を導入して、開田する。 |
1928年(昭和3) | 黒沢川に2か所、架橋工事を竣工(しゅんこう)する。 |
時あたかも、農村経済恐慌。1924年(大正13)には大旱魃(かんばつ)に遭い、1927年(昭和2)には凍霜害に見舞われて減収となり、昭和5、6年には財政が極度に窮迫して、その打開策に血のにじむような苦心を払う。 | |
小学校校舎の統合、教員住宅・役場庁舎を改築したほか、小倉地区に郵便局を開局して局長となる。自動車会社を設立して運輸の便を図る。 | |
村長を4期16年務めているなかで、郡町村会副会長・郡会議員を務める。 | |
郡会議員を2期務めたほか、長野県耕地協会の役員も務める。 | |
1941年(昭和16) | 死去。村民は、その逝去を悼み、準村葬が行われる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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三郷村誌1 | 三郷村誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |