高橋 保|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052152 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
高橋 保
たかはし たもつ
長野県下の電気関係事業のほとんどに関係し、その要職に就いて、業界の進展に尽力する。
生年月日 | 1883年(明治16) |
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没年月日 | 1972年(昭和47) |
関連地域 | 豊科(上川手) |
職業・肩書 | 社会実業家 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
豊科上川手に生れました。松本中学校(現深志高等学校)から京都の第三高等学校(現京都大学教養部)に進みました。在学当時からすでに電気事業、特に水力発電に着目して、京都帝国大学工学部電気科に入学し、電気事業の進展に尽しました。1909年(明治42)、同大学を卒業後、伊那電気鉄道株式会社に入社し、技師長となりました。1911年(明治44)に長野電灯株式会社に転じ、技師長となり、1919年(大正8)には同社の顧問、取締役となりました。その後も、長野県下の電気関係事業のほとんどに関係し、欧米各国の電気事業・肥料・人絹工業等を視察して業界の進展に貢献しました。1932年(昭和7)、長野県第4区から衆議院議員に当選して1期を務め、その後は事業に専念しました。1972年(昭和47)、89歳で亡くなりました。
略歴譜
1883年(明治16) | 豊科上川手に生れる。 |
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松本中学校を卒業する。 | |
京都の第三高等学校に入学する。 | |
在学当時からすでに電気事業、特に水力発電に着目して、京都帝国大学工学部電気科に入学する。 | |
長野県下の水力発電可能な地域の踏査研究を行う。 | |
1909年(明治42) | 京都帝国大学工学部電気科を卒業後、伊那電気鉄道株式会社に入社する。技師長となる。 |
1911年(明治44) | 長野電灯株式会社に転じ、技師長となる。 |
1919年(大正8) | 長野電灯株式会社顧問、取締役となる。 |
布引鉄道、梓川電力、千曲川電力の重役となる。 | |
東信電気株式会社の理事・専務取締役となる。 | |
昭和人絹株式会社のほか、日東肥料株式会社・高橋商事株式会社・安曇電気株式会社等数多くの会社の社長・取締役を勤める。 | |
1932年(昭和7) | 長野県第4区から衆議院議員に当選して1期を務め、その後は事業に専念する。 |
1972年(昭和47) | 死去。 |
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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