高木 保吉|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052156 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
高木 保吉
たかぎ やすきち
書画に長じ、南宋画法を学び、後進の指導育成に努め、信濃書画協会を創設する。
生年月日 | 1865年(慶応1) |
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没年月日 | 1919年(大正8)2月18日 |
関連地域 | 豊科(熊倉) |
職業・肩書 | 南宗画家 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
豊科熊倉に生れました。
生来、書画に長じ、丸山素屋・関口老雲等に就いて南宗画法を学び、画号は「犀がい」または「杏関」といいました。その後、ひたすら後進の指導に努め、信濃書画協会を創設しました。
北越・奥羽・北海道を漫遊したほか、晩年は、妻を伴って、紀州・奈良・大阪地方を漫遊し、さらに画才を豊かにしました。脱俗超然の画風は、しだいに世に認められ、各地の博覧会・共進会・絵画協会において常に受賞しました。遺作は多く、大阪方面と松本地方及び郷里にあります。
1919年(大正8)に54歳で病気のため亡くなりました。
略歴譜
1865年(慶応1) | 豊科熊倉に生れる。画号は「犀がい」または「杏関」という。 |
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丸山素屋・関口老雲等に就いて南宗画法を学ぶ。 | |
信濃書画協会を創設する。 | |
北越・奥羽・北海道を漫遊する。 | |
晩年、妻を伴って、紀州・奈良・大阪地方を漫遊し、さらに画才を豊かにした。 | |
1919年(大正8)2月18日 | 死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |