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黒岩 島|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052160 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

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黒岩 島
くろいわ しま

昭和恐慌の前後に活躍し、金融界の安定のみならず、地方経済更生のために尽力した。

生年月日 1879年(明治12)
没年月日 1937年(昭和12)
関連地域 堀金(下堀)
職業・肩書 銀行家
活躍年 大正・昭和時代
ゆかりの分野 経済(経済)

 

経歴

堀金下堀に生まれました。1898年(明治31)、南安銀行頭取丸山盛雄・常務取締役矢淵君市に嘱望(しょくぼう)されて、同銀行の手代となりました。1913年(大正2)、南安銀行支配人となり、同行を立て直し、南安曇の金融界を安定させました。1920年(大正9)3月、南安銀行が六十三銀行と合併すると、同行豊科支店長となりました。1930年(昭和5)、県内金融界に大恐慌が到来し、六十三銀行が信濃商業銀行を買収して、翌年に六十三銀行と十九銀行および県内外の銀行が合併し、八十二銀行が発足しました。黒岩島は、八十二銀行業務課長兼整理課長に就任して、県下の金融界で活躍を続けました。このほか、長野県農村経済改善委員・長野県臨時財政調査会委員等となって、地方経済更生のために尽力しました。

略歴譜

1879年(明治12) 堀金下堀に生まれる。
1897年(明治30) 長野県尋常中学校を卒業する。
1898年(明治31) 南安銀行頭取丸山盛雄・常務取締役矢淵君市に嘱望されて、同銀行の手代となる。
  西条銀行支配人代理として、2から3年間整理にあたり、丸山盛雄の信用を得る。
1913年(大正2) 南安銀行支配人となり、同行を立て直し、南安曇の金融界を安定させる。
1920年(大正9)3月 南安銀行が六十三銀行と合併し、六十三銀行豊科支店長となる。
1922年(大正11)4月 六十三銀行長野本店の取締役兼調査部長の市川新治のもとに、調査部次長に抜擢される。
1929年(昭和4)9月 六十三銀行丸子支店長を兼務し、同年に調査部長に昇進する。
1930年(昭和5) 県内金融界に大恐慌が到来し、六十三銀行が信濃商業銀行を買収する。
1931年(昭和6)8月 六十三銀行と十九銀行と県内外の銀行が合併し、八十二銀行が発足する。八十二銀行業務課長兼整理課長に就任する。
1933年(昭和8) 長野県臨時財政調査会委員となる。
1935年(昭和10) 長野県農村経済改善委員会特別委員となる。
1937年(昭和12) 急病のため死去。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編    安曇野市図書館
堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市図書館

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