斎藤 敬語|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052163 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
斎藤 敬語
さいとう けいご
扇町耕地総代、扇町養蚕組合長、烏川産業組合理事などの要職を歴任。村会議員・村会議長を経て、堀金村長を3期12年間務め、村民の信望を得て村政発展に貢献した。
生年月日 | 1897年(明治30) |
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没年月日 | 1982年(昭和57)10月 |
関連地域 | 堀金(扇町) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
堀金扇町に生れました。1927年(昭和2)に扇町耕地総代となり、その後、扇町養蚕組合長・烏川産業組合理事を歴任します。942年(昭和17)には村会議員、1950年(昭和25)より烏川農業協同組合専務理事となりました。1955年(昭和30)、堀金村が発足すると、村会議員に当選、名望と手腕を買われて議長の要職に就きました。1957年(昭和32)4月には、推されて堀金村長に就任し、1969年(昭和44)4月まで3期12年間、村民の信望を得て村政発展のために貢献しました。この間、有線放送施設の開設改修、堀金中学校の施設整備、烏川三田財産区の合併、水道施設の整備統合などに優れた実績を挙げました。特に堀金小学校の改築にあたっては、旧校舎補強案があったなか、厳然とした決意をもって全面改築に踏み切りました。また、南安曇郡町村長会副会長、中信平左岸土地改良区副理事長、県国保連合会理事、県有線放送協会理事なども兼任し、地方自治の振興に意を注ぎました。
略歴譜
1897年(明治30) | 堀金扇町に生まれる。 |
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1917年(大正6) | シベリア出兵に従軍し、軍功により勲八等を授与される。 |
1927年(昭和2) | 扇町耕地総代となり、その後、扇町養蚕組合長・烏川産業組合理事となる。 |
1942年(昭和17) | 村会議員となる。 |
1950年(昭和25) | 烏川農業協同組合専務理事となる。 |
1955年(昭和30) | 堀金村が発足し、村会議員に当選し、村会議長に就任する。 堀金小学校PTAなどから校舎の全面改築の声が上がる。 |
1957年(昭和32)4月 | 堀金村長に就任。1969年(昭和44)4月まで3期12年間、村政を担う。 |
1959年(昭和34) | 村議会において堀金小学校の全面改築を議決。同年着工。 |
1961年(昭和36)1月 | 小学校の全面改築が竣工し、教育環境の近代化に努める。 |
1962年(昭和37) | 堀金中学校の校庭拡張工事が行われる。同校技術科室が落成。 |
1963年(昭和38) | 堀金中学校の水泳プールが完成。 |
1964年(昭和39) | 堀金中学校の給食室が完成。 |
南安曇郡町村長会副会長・中信平左岸土地改良区副理事長等も兼任し、地方自治の振興に意を注ぐ。 | |
1982年(昭和57)10月 | 死去。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |
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