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斎藤 敬語|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052163 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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斎藤 敬語
さいとう けいご

扇町耕地総代。扇町養蚕組合長・烏川産業組合理事等の要職に就いた後、村会議員・村会議長を経て、堀金村長として、3期12年間、村民の信望を得て村政発展に貢献した。

生年月日 1897年(明治30)
没年月日 1982年(昭和57)10月
関連地域 堀金(扇町)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

堀金扇町に生れました。1927年(昭和2)に扇町耕地総代となり、その後、扇町養蚕組合長・烏川産業組合理事になり、1942年(昭和17)には村会議員、1950年(昭和25)より烏川農業協同組合専務理事となりました。1955年(昭和30)、堀金村が発足し、村会議員に当選、名望と手腕を買われて議長の要職に就きました。1957年(昭和32)4月には、推されて堀金村長に就任し、1969年(昭和44)4月まで3期12年間、村民の信望を得て村政発展のために貢献しました。この間、有線放送施設の開設改修・小学校の全面改築・中学校の新改築・烏川三田財産区の合併・水道施設の整備統合等に優れた実績を挙げました。また、南安曇郡町村長会副会長・中信平左岸土地改良区副理事長・県国保連合会理事・県有線放送協会理事等も兼任し、地方自治の振興に意を注ぎました。1982年(昭和57)10月、85歳で亡くなりました。

略歴譜

1897年(明治30) 0歳 堀金扇町に生れる。
1917年(大正6)   現役兵としてシベリアに出征し、軍功により勲八等を授与される。
1927年(昭和2) 30歳 扇町耕地総代となり、その後、扇町養蚕組合長・烏川産業組合理事となる。
1942年(昭和17)   村会議員となる。
1950年(昭和25)   烏川農業協同組合専務理事となる。
1955年(昭和30)   堀金村が発足し、村会議員に当選、名望と手腕を買われて議長の要職に就く。
1957年(昭和32)4月   推されて堀金村長に就任し、1969年(昭和44)4月まで3期12年間、村民の信頼を得て村政発展のために貢献する。
    この間、有線放送施設の開設改修・小学校の全面改築・中学校の新改築・烏川三田財産区の合併・水道施設の整備統合等に尽す。
    特に、小学校の改築に当っては、旧校舎補強案のあったなか、明敏な見識と厳然たる決意をもって全面改築に踏み切る。
1961年(昭和36)1月   小学校の全面改築が竣工し、教育環境の近代化に努める。
    南安曇郡町村長会副会長・中信平左岸土地改良区副理事長等も兼任し、地方自治の振興に意を注ぐ。
1982年(昭和57)10月 85歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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