細萱 伝平|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052164 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
細萱 伝平
ほそがや でんぺい
教育者。学識を慕って教えを請う門弟500人余を数え、明治の先覚者藤森佳谷等の有能な人材を育てる。
生年月日 | 不詳 |
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没年月日 | 不詳 |
関連地域 | 豊科(寺所) |
職業・肩書 | 教育者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
豊科寺所に生まれました。名は直次郎といい、修安、梅荘と号しました。農業の合間に、朱子学や歌、書を学び、特に草書に長(た)けていました。近隣から人格と学識を慕って、教えを請う人が500人余になったといいます。成相新田の豪農藤野屋の請いに応じ、その邸宅に学問所(後に法蔵寺大門に移る)を開設しました。明治の先覚者画家藤森桂谷らを教え、明治の新しい時代を築く有能な人物を育てました。
1876年(明治9)12月、寺所観音堂の西方西ノ側通りに、細萱伝平の大きな筆塚が建てられました。この筆塚は、新設「豊科学校」校長の藤森桂谷唯一の碑の書であり、穂高「研成学校」校長の高橋白山の碑文によるものです。
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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