細川 喜之也|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052165 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
細川 喜之也
ほそかわ きのや
座繰製糸から始めた製糸業を、郡内唯一の機械製糸工場に発展させ、南安曇郡生糸同業組合長となり、地域の産繭業等に尽力する。
生年月日 | 1863年(文久3) |
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没年月日 | 1929年(昭和4) |
関連地域 | 豊科(細萱) |
職業・肩書 | 蚕業功労者 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 社会(交通通信) |
経歴
豊科細萱に生れました。明治中頃に製糸業を志し、近隣の婦人や女子を頼み、10釜程度の座繰製糸から始め、1897年(明治30)、合資会社細川製糸場「丸キ」を設立しました。1910年(明治43)からは、郡内唯一の機械製糸工場に発展し、1925年(大正14)に、南安曇郡生糸同業組合長となりました。1926年(大正15)には、長野県生糸同業組合評議員となり、地域産業の発展に尽力しました。当時、自宅工場は150釜、穂高分工場は50釜、従業員は200人に成長し、地域の産繭(さんけん)・繭取引・生糸取引・製糸業への就職等、地域の活性化にも役立ちました。長男細川正文が事業の跡を継ぎ、同業合併の「丸合製糸工場」の工場長等を勤めました。1929年(昭和4)、66歳で亡くなりました。
略歴譜
1863年(文久3) | 0歳 | 豊科細萱に生れる。 |
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明治中頃 | 製糸業を志し、近隣の婦女子を頼み、10釜程度の座繰製糸から始める。 | |
1897年(明治30) | 合資会社細川製糸場「丸キ」を設立する。 | |
1910年(明治43) | 郡内唯一の機械製糸工場に発展する。 | |
1925年(大正14) | 南安曇郡生糸同業組合長となる。 | |
1926年(大正15) | 長野県生糸同業組合評議員となり、地域産業の発展に尽力する。 | |
自宅工場は150釜、穂高分工場は50釜、従業員は200人に成長する。 | ||
地域の産繭・繭取引・生糸取引・製糸業への就職等、地域の活性化に役立つ。 | ||
1929年(昭和4) | 66歳 | 亡くなる。 |
長男細川正文が事業の跡を継ぎ、同業合併の「丸合製糸工場」の工場長等を勤める。 |
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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