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三原 儀十郎|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052167 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

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三原 儀十郎
みはら ぎじゅうろう

豊科町長。郡下で初めて上水道を完成させ、東洋紡績の誘致に成功する等、長年にわたり地方自治の発展に尽す。

生年月日 1875年(明治8)
没年月日 1965年(昭和40)12月24日
関連地域 豊科(新田)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 政治(政治)

 

経歴

豊科新田に生れました。1888年(明治21)に南安曇郡組合立高等小学校を卒業、1892年(明治25)に豊科郵便局電気通信技術員となりました。1898年(明治31)に南安曇郡役所に転じ、翌年の3月に長野県文官普通試験に合格し、同月には南安曇郡書記に任命されました。以後、各郡役所の重職を歴任しました。1915年(大正4)、家庭の要請で退官して帰郷し、醤油の醸造を始めました。豊科町学務委員となり、4年間勤めました。1917年(大正6)に豊科町会議員となり、豊科町助役等を歴任し、1929年(昭和4)に豊科町長となりました。3期12年間務め、上水道の整備や東洋紡績株式会社(元呉紡績株式会社豊科工場)の誘致に成功しました。65年間にわたり、地方自治の発展に力を尽しました。1965年(昭和40)、90歳で亡くなりました。

略歴譜

1875年(明治8) 豊科新田に生れる。
1892年(明治25) 豊科郵便局電気通信技術員となる。
1898年(明治31) 南安曇郡役所に転じる。
1899年(明治32)3月 長野県文官普通試験に合格する。
1899年(明治32)4月 南安曇郡書記に任命される。以後、各郡役所の重職を歴任する。
1915年(大正4) 家庭の要請で帰郷して、醤油の醸造を始める。豊科町学務委員となり、4年間務める。
1917年(大正6) 豊科町会議員となり、8年間務める。
1924年(大正13) 豊科町商工会長となり、7年間務める。
1928年(昭和3) 豊科町助役となる。
1929年(昭和4) 豊科町長となり、3期12年間務め、上水道の整備や東洋紡績株式会社(元呉紡績株式会社豊科工場)の誘致に成功する。南安曇郡町村会長となり、12年間務める。
1931年(昭和6) 町部に郡下初めての上水道を完成させる。
1937年(昭和12) 長野県町村財産管理組合副組合長を4年間務める。
1938年(昭和13) 長野県町村長会副会長となり、2年9か月間務める。
1965年(昭和40)12月24日 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
豊科町誌 豊科町誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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