三沢 英一|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052171 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
三沢 英一
みさわ えいいち
教師。自由主義思想の鼓吹に尽力。
生年月日 | 1882年(明治15) |
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没年月日 | 1942年(昭和17)2月1日 |
関連地域 | 堀金(田多井) |
職業・肩書 | 教育功労者 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
堀金田多井に生れました。1904年(明治37)、長野県師範学校(現信州大学教育学部)を卒業して、豊科組合立高等小学校に奉職し、堀金、梓、島立、島内と転任しました。1909年(明治42)9月に、温明尋常高等小学校首席訓導となりました。1914年(大正3)、開智小学校に勤務となりました。一身の利害打算を考えず、自らを堅持して説をまげない教育信念を持ち、人格尊重、自由主義的新思想を持つ教師と共に、2回、校長排斥の挙に出ました。1918年(大正7)、南穂高小学校長に就任した後、堀金小学校長、豊科小学校長、梓小学校長を歴任し、郡下で合わせて17年間校長を勤めました。また、南安曇教育会長を6年間勤め、信州教育界においても大きな存在となりました。1942年(昭和17)に亡くなりました。
略歴譜
1882年(明治15) | 0歳 | 堀金田多井の喜文治の長男に生れる。 |
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1904年(明治37) | 長野県師範学校を卒業して、豊科組合立高等小学校に奉職する。 | |
堀金、梓、島立、島内と転任する。 | ||
1909年(明治42)9月 | 27歳 | 温明尋常高等小学校首席訓導となる。 |
人格尊重、自由主義的新思想を持つ教師と共に、校長排斥の挙に出る。 | ||
1914年(大正3) | 開智小学校に勤務する。 | |
1915年(大正4) | 師範学校長星菊太排斥運動に加わり、長野に集まる。 | |
1918年(大正7) | 36歳 | 南穂高小学校長に転出する。 |
1920年(大正9) | 堀金小学校長を8年間勤める。 | |
1929年(昭和4) | 豊科小学校長を3年間勤める。 | |
1942年(昭和17) | 梓小学校長を3年間勤め、郡下で合わせて17年間校長を勤める。 | |
1942年(昭和17)2月1日 | 60歳 | 病気のため亡くなる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |