山下 龍静|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052173 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
山下 龍静
やました りゅうじょう
桔梗ヶ原高校校長、七貴中学校長を歴任。後に、宗林寺住職となり、寺門経営に専念する。また、明科で、教育委員・民生委員等の活動に尽力する。
生年月日 | 1902年(明治35)2月10日 |
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没年月日 | 1968年(昭和43)2月3日 |
関連地域 | 明科(光。長野市出身。) |
職業・肩書 | 住職・教育者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(宗教) |
経歴
長野市川中島に生れました。小学生時代に宗林寺の養子となり、松本中学を経て、大正大学を卒業しました。長野高女(現長野西高等学校)をはじめ県下各地の旧制中等学校の教員として奉職し、桔梗ヶ原高校(現塩尻志学館高等学校)校長、七貴中学校長を歴任しました。1946年(昭和21)に宗林寺住職となり、寺門経営に専念し、その間、浄土宗宗会議員2期、浄土宗宗務庁総務局長に就任して宗政を担当しました。明科では、教育委員・保護司・民生委員を務めました。1961年(昭和36)8月、落雷により本堂が焼失してしまうと、再建に心を砕き、翌1962年(昭和37)に松本市の生安寺の本堂を譲り受けて移転して建てました。その後は、内外の環境整備に尽力し、1968年(昭和43)2月3日に、病死しました。
略歴譜
1902年(明治35)2月10日 | 長野市川中島に生まれる。 |
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小学生時代に宗林寺の養子となり、松本中学(現松本深志高等学校)を経て、大正大学を卒業する。 | |
長野高女をはじめ県下各地の旧制中等学校の教員として奉職する。 | |
桔梗ヶ原高校校長、七貴中学校長を歴任する。 | |
1946年(昭和21) | 宗林寺住職となり、寺門経営に専念する。 |
その間、浄土宗宗会議員2期、浄土宗宗務庁総務局長に就任して宗政を担当する。 | |
明科では、教育委員・保護司・民生委員を務める。 | |
1961年(昭和36)8月 | 落雷により本堂が焼失する。 |
1962年(昭和37) | 再建に心を砕き、松本市の生安寺の本堂を譲り受けて移転して建てる。 |
内外の環境整備に尽力する。 | |
1968年(昭和43)2月3日 | 病死。 |
法名は、真蓮社瑛譽上人観阿察音龍静大和尚。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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長野西高等学校公式ホームページ |