山崎 伊農右衛門|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052175 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
山崎 伊農右衛門
やまざき いのえもん
香川景樹の門人。帰郷後、寺子屋師匠となり子弟を教える。歌集「山の家集」。
生年月日 | 不詳 |
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没年月日 | 1856年(安政3)8月28日 |
関連地域 | 明科(荻原) |
職業・肩書 | 寺子屋師匠 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
明科荻原に生れました。庄屋を勤めました。儒学の学識が深く、書を能(よ)くして、26歳で京都に出て、香川景樹の門に入り、国学・和歌を学びました。帰郷して寺子屋師匠となり、子弟を教え、時に謡曲・礼法も授けました。仏法に帰依し、念仏経文を唱えました。歌集「山の家集」を作りました。77歳、臨終の折り、心乱れず辞世「夢なりとやがて此世をかへりみん、深き生死の海を渡りて」を詠みました。1856年(安政3)8月28日に亡くなりました。伊農右衛門の亡くなった後、門弟90余人で墓を建て、1866年(慶応2)2月には筆塚を建てました。
略歴譜
江戸 | 明科荻原に生れる。諱(いみな)は、道忠・祖龍と称する。 | |
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庄屋を勤める。 | ||
儒学の学識が深く、書を能くする。 | ||
26歳 | 京都に出て、香川景樹の門に入り、国学・和歌を学ぶ。 | |
帰郷して寺子屋師匠となり、子弟を教え、時に謡曲、礼法も授ける。 | ||
仏法に帰依し、念仏経文を唱える。作品:歌集「山の家集」を作る。 | ||
臨終の折、心乱れず辞世を詠む。「夢なりとやがて此世をかへりみん、深き生死の海を渡りて」 | ||
1856年(安政3)8月28日 | 亡くなる。 | |
門弟90余人で墓を建てる。 | ||
1866年(慶応2)2月 | 77歳 | 筆塚を建てる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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