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山崎 伊農慧文|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052176 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

山崎 伊農慧文
やまざき いのえもん

寺子屋師匠。経史・百家の書を深め、茶道・書にも長(た)けていた。

生年月日 1821年(文政4)8月19日
没年月日 1901年(明治34)4月12日
関連地域 明科(荻原)
職業・肩書 寺子屋師匠
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 文化(教育)

 

経歴

明科荻原に、山崎伊農右衛門の孫として生れました。諱(いみな)は道孝と称しました。経史・百家の書を深め、茶道に秀でて、書は近衛流を能(よ)くしました。寺子屋師匠をし、名利の欲がなく、沈深寡黙(かもく)で、人々に敬われました。1898年(明治31)11月に、門人が翁に請い、筆塚を建て、「愚をも尊みたもう人々は、後の世までも頼もしきかな」と刻みました。1901年(明治34)4月12日に、亡くなりました。

略歴譜

1821年(文政4)8月19日 0歳 明科荻原に、山崎伊農右衛門の孫として生れる。諱は道孝と称する。
    経史・百家の書を深め、茶道に秀でて、書は近衛流を能くする。
    寺子屋師匠をし、名利の欲がなく、沈深寡黙で人々に敬われる。
1898年(明治31)11月 77歳 門人が翁に請い、筆塚を建て、「愚をも尊みたもう人々は、後の世までも頼もしきかな」と刻む。
1901年(明治34)4月12日 79歳 亡くなる。

参考文献

明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

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