山崎 義男|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052241 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
山崎 義男
やまざき よしお
医学博士。順天堂病院、満鉄病院婦人科医長を勤め、松本で山崎産婦人科病院を開業する。書道も大家で、荻泉(てきせん)と号した。
生年月日 | 1888年(明治21)6月10日 |
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没年月日 | 1960年(昭和35)2月27日 |
関連地域 | 明科(荻原) |
職業・肩書 | 医学博士 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 社会(医療厚生) |
経歴
明科荻原に生れました。松本中学校(現深志高等学校)から千葉医専(現千葉大学)に進み、卒業後、医学博士となりました。順天堂病院、満鉄病院婦人科医長を勤め、ドイツに留学しました。1926年(大正15)に帰国して、松本市蟻ケ崎で山崎産婦人科病院を開業しました。書道も大家で、荻泉(てきせん)と号しました。短歌も作り、松本城の瓦に書いて納めました。1960年(昭和35)2月27日に、亡くなりました。
略歴譜
1888年(明治21)6月10日 | 明科荻原に生れる。 |
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松本中学校から千葉医専に進む。 | |
医学博士となる。 | |
順天堂病院、満鉄病院婦人科医長を勤める。 | |
ドイツに留学する。 | |
1926年(大正15) | 帰国し、松本市蟻ケ崎で山崎産婦人科病院を開業する。 |
書道も大家で、荻泉(てきせん)と号する。 | |
短歌を作り、松本城の瓦に書いて納める。 | |
1960年(昭和35)2月27日 | 亡くなる。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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