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山田 多賀市|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052177 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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山田 多賀市
やまだ たかいち

農民文学の発展に貢献。小説「耕土」・「生活の仁義」などを著す。戦争に反対し、戦後死ぬまで無戸籍を貫いた。

生年月日 1907年(明治40)
没年月日 1990年(平成2)9月
関連地域 堀金(田尻)
職業・肩書 農民作家・農民解放運動家
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

堀金田尻の農家に生れました。19歳の時、伊那谷の発電工事場で働き、帳付けをしていた葉山嘉樹と知り合い、読書に興味を持つようになりました。21歳の時、日本農民組合青年部に加入して、農民解放運動に参加しましたが、25歳で運動から転向し、作家を志しました。新田潤の勧めによって書いた短篇が、「人民文庫」に新人創作として載り、続いて同人雑誌「槐(えんじゅ)」に小説『耕土』が掲載されて、文壇の注目を集めるようになりました。30歳頃には、『耕土』が出版され、「中央公論」や「赤門文学」で高い評価を受けました。また、小説『生活の仁義』なども著しました。戦後は、農業技術雑誌「農業と文化」・「農政と技術」・「農民文学」を発行し、編集長を10年間勤めました。また、自伝小説『雑草』によって、全線文学賞を受賞しました。1984年(昭和59)、随筆『終焉の記』を出版しました。

略歴譜

1907年(明治40) 0歳 堀金田尻の農家に生れる。
  19歳 伊那谷の発電工事場で働き、帳付けをしていた葉山嘉樹と知り合い、読書に興味を持つようになる。
  21歳 日本農民組合青年部に加入して、農民解放運動に参加するが、25歳で運動から転向し、作家を志す。
    新田潤の勧めによって書いた短篇が、「人民文庫」に新人創作として載る。
    同人雑誌「槐」に、小説『耕土』が掲載されて文壇の注目を集めるようになる。
  30歳頃 『耕土』が出版され、「中央公論」や「赤門文学」で高い評価を受ける。
    小説『生活の仁義』を著す。
    戦後は、農業技術雑誌「農業と文化」・「農政と技術」・「農民文学」を発行し、編集長を10年間勤める。
1950年(昭和25)頃   堀金中学校建設当時、多額な寄付を行う。
    自伝小説『雑草』によって、全線文学賞を受賞する。
1980年(昭和55)8月   堀金村夏期大学の要請で、講演のため帰村する。
1984年(昭和59)   随筆『終焉の記』を出版する。
1990年(平成2)9月 82歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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