山田 多賀市|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052177 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
山田 多賀市
やまだ たかいち
農民文学の発展に貢献。小説「耕土」・「雑草」などを著す。戦争に反対し、戦後死ぬまで無戸籍を貫いた。
生年月日 | 1907年(明治40) |
---|---|
没年月日 | 1990年(平成2)9月 |
関連地域 | 堀金(田尻) |
職業・肩書 | 農民作家・農民解放運動家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
堀金田尻の農家に生れました。伊那谷の発電工事場で働き、帳付けをしていた葉山嘉樹と知り合い、読書に興味を持つようになりました。21歳の時、日本農民組合青年部に加入して、農民解放運動に参加しましたが、肺結核を患い、作家を志しました。新田潤の勧めによって書いた短篇が、「人民文庫」に新人創作として載り、続いて同人雑誌「槐(えんじゅ)」に小説『耕土』が掲載されて、文壇の注目を集めるようになりました。30歳頃には、『耕土』が出版され、「中央公論」や「赤門文学」で高い評価を受けました。1943年(昭和18)徴兵を逃れるために、死亡を診断書を三田村役場に送りました。戦後は、農業技術雑誌「農業と文化」・「農政と技術」・「農民文学」を発行し、編集長を10年間勤めました。また、自伝小説『雑草』によって、全線文学賞を受賞しました。1984年(昭和59)、随筆『終焉の記』を出版しました。
略歴譜
1907年(明治40) | 堀金田尻の農家に生れる。 |
---|---|
1926年(昭和3) | 伊那谷の発電工事場で働き、帳付けをしていた葉山嘉樹と知り合い、読書に興味を持つようになる。 |
日本農民組合青年部に加入して、農民解放運動に参加する。 | |
新田潤の勧めによって書いた短篇が、「人民文庫」に新人創作として載る。 | |
同人雑誌「槐」に、小説『耕土』が掲載されて文壇の注目を集めるようになる。 | |
1940年(昭和15) | 『耕土』が出版され、「中央公論」や「赤門文学」で高い評価を受ける。 |
小説『生活の仁義』を著す。 | |
戦後は、農業技術雑誌「農業と文化」・「農政と技術」・「農民文学」を発行し、編集長を10年間勤める。 | |
1950年(昭和25)頃 | 堀金中学校建設当時、15万円の寄付を行う。 |
1971年(昭和46) | 自伝小説『雑草』によって、全線文学賞を受賞する。 |
1980年(昭和55)8月 | 堀金村夏期大学の要請で、講演「農民解放と農民文学に生きて」を行う。 |
1984年(昭和59) | 随筆『終焉の記』を出版する。 |
1990年(平成2)9月 | 亡くなる。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
---|