篠崎 四郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052178 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
篠崎 四郎
しのざき しろう
蚕種の改良・普及に尽力。
生年月日 | 1869年(明治2) |
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没年月日 | 1929年(昭和4) |
関連地域 | 明科(豊科細萱の篠崎伯朗の養子。) |
職業・肩書 | 蚕業功労者 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科に生まれ、豊科細萱の篠崎伯朗の養子となりました。伯朗は、生糸製造や梨・葡萄等の果樹栽培などに携わった、地方の殖産振興の先覚者でした。四郎はその養父の指導のもと、蚕糸業界に創意工夫をもって貢献しました。明治末期、片倉製糸松本所長今井五介の大日本一代交配蚕種普及団の提唱に、安筑両郡の同志とともに参加しました。地元の有力者斉藤兵次郎らと「四天王組」をつくり、一代交配蚕種の改良・普及に努力しました。1915年(大正4)、日本種と欧州種との一代交配、日本種と中国種の一代交配による「大和錦」「白竜」の新品種を作り出し、翌年には蚕種・蚕繭(さんけん)・蚕蛾貯蔵のための天然氷利用による冷蔵施設を考案し、普及させました。
略歴譜
1869年(明治2) | 明科に生まれる。 |
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長じて豊科細萱の篠崎伯朗の養子となる。 | |
明治初年 | 生糸製造や梨・葡萄等の果樹栽培で、地方の殖産振興の先覚者の養父伯朗の指導を受け、蚕糸業界に貢献する。 |
明治末期 | 片倉製糸松本所長今井五介の大日本一代交配蚕種普及団の提唱に、安筑両郡の同志とともに参加する。 |
地元の有力者斉藤兵次郎らと「四天王組」をつくり、一代交配蚕種の改良・普及に努力する。 | |
1915年(大正4) | 日本種と欧州種との一代交配、日本種と中国種の一代交配による「大和錦」「白竜」の新品種を作り出し、普及する。 |
1916年(大正5) | 蚕種・蚕繭・蚕蛾貯蔵のための天然氷利用による冷蔵施設を普及させる。 |
1922年(大正11) | 長野県蚕品種審査会が設置され、委員となる。 |
南安曇蚕種同業組合長、長野県蚕業同業組合連合会副会長、帝国中央会委員等の要職を務める。 | |
1928年(昭和3) | 長野県蚕糸業調査委員会が設置され、委員に推される。 |
1929年(昭和4) | 死去。 |
参考文献
豊科町誌 | 豊科町誌編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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写真:南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |