釈 弘範|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052179 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
釈 弘範
しゃく こうはん
穂高等々力町の牛流山(ごりゅうざん)真龍院に錫をとどめ、衆生済度と師弟の薫化に尽す。
生年月日 | 1655年(承応4) |
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没年月日 | 1734年(享保19) |
関連地域 | 穂高(等々力町) |
職業・肩書 | 住職 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(宗教) |
経歴
京都の公卿の出で、皇居に仕えた人だと伝えられています。諸国を行脚して仏法を極め、文筆に秀でた高僧で、たまたま穂高等々力町の牛流山真龍院(廃仏毀釈で廃寺)に錫をとどめ、真言宗住職として、衆生済度と師弟の薫化に尽しました。
また、子弟には俳諧として活躍した荒川玉芳がいました。1734年(享保19)、79歳で亡くなりました。穂高等々力町の北隅に小堂があって、弘範様と呼ばれています。そばに、「法印権大僧都大阿闍利弘範大和尚位」と刻んだ花崗岩の碑が立っています。
略歴譜
1655年(承応14) | 0歳 | 京都の公卿の出で、皇居に仕えた人だと伝えられている。 |
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諸国を行脚して仏法を極める。 | ||
穂高等々力町の牛流山真龍院に錫をとどめ、衆生済度と師弟の薫化に尽す。子弟に、俳諧師の荒川玉芳がいた。 | ||
1734年(享保19) | 79歳 | 亡くなる。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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