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弘範|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052179 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

弘範
こうはん

穂高等々力町の牛流山(ごりゅうざん)真龍院に錫をとどめ、衆生済度と師弟の薫化に尽す。

生年月日 1655年(承応4)
没年月日 1734年(享保19)
関連地域 穂高(等々力町)
職業・肩書 住職
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(宗教)

 

経歴

京都の公卿の出身と伝えられています。諸国を行脚して仏法を極め、文筆に秀でた高僧で、たまたま等々力町村にあった真言宗寺院牛流山真龍院(廃仏毀釈で廃寺)に錫をとどめ、住職として、衆生済度と師弟の薫化に尽しました。子弟には俳諧として活躍した荒川玉芳がいます。
1734年(享保19)10月24日、衆徒を集めると、「老衲(ろうのう)今当(まさ)に入定(にゅうじょう)すべし」と公言します。人々は早速大きな棺を用意したところ、弘範は静かに盤を鳴らし、読経して入寂したと伝えられています。79歳でした。
等々力町区の北隅にある小堂は、「弘範様」と呼ばれています。堂の傍らには、「法印権大僧都大阿闍利弘範大和尚位」と刻まれた花崗岩の碑が立っています。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館

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