狩野 洞索|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052180 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
狩野 洞索
かのう どうさく
狩野派の画家。京都に出て、狩野洞寿に入門して後、農民画家として屏風や襖絵を残す。
生年月日 | 1764年(宝暦・明和)頃 |
---|---|
没年月日 | 1844年(天保・弘化)頃 |
関連地域 | 穂高(矢原) |
職業・肩書 | 日本画家 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
穂高矢原に生まれました。
初め、狩野梅二(平林梅二)に手ほどきを受け、その後、京都に出て狩野洞寿に入門したといわれます。
帰郷後、農民画家として暮らし、屏風や襖絵を残しました。洞索は、矢原の荻原姓で、碌山の祖先に当ります。
1844年(天保・弘化)頃に亡くなりました。
略歴譜
1764年(宝暦・明和)頃 | 穂高矢原に生まれる。姓を荻原といい、荻原碌山の祖先に当る。 |
---|---|
狩野梅二(平林梅二)に手ほどきを受ける。 | |
京都に出て、狩野洞寿に入門する。 | |
帰郷後、農民画家として暮らし、屏風や襖絵を残す。 | |
1844年(天保・弘化)頃 | 死去。 |
参考文献
穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市図書館 |
---|---|---|
安曇野の美術 | 丸山楽雲/編 | 安曇野市図書館 |