小穴 憲吾|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052184 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小穴 憲吾
おあな けんご
学校長・郡視学を歴任し、実に55年間、教育一筋の生涯を送る。
生年月日 | 1869年(明治2) |
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没年月日 | 1949年(昭和24)10月5日 |
関連地域 | 豊科(踏入) |
職業・肩書 | 教育功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
豊科踏入に生まれました。先祖は代々寺子屋の師匠で、父真平は安曇平の能書家として名高く、憲吾もまた能筆で、いまだに広くその書が遺っています。
少年時代から学問に頭角を現し、小学校から師範学校まで首席で卒業しました。1892年(明治25)、豊科村ほか四か村組合高等小学校に奉職しました。1896年(明治29)に穂高尋常小学校長となり、穂高高等小学校長・南安曇郡視学・更科郡視学を歴任しました。1908年(明治41)には、豊科村ほか四か村組合高等小学校長に就任しました。翌年、朝鮮黄海道の安岳学校長となり、終戦まで勤めました。1892年(明治25)から実に55年間、教育一筋の生涯でした。1949年(昭和24)、80歳で死去しました。
略歴譜
1869年(明治2) | 豊科踏入に生まれる。先祖は代々寺子屋の師匠で、父真平は安曇平の能書家として名高く、憲吾も能筆家であった。てい庵と号する。 |
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小学校から師範学校卒業まで首席で卒業する。 | |
1892年(明治25) | 豊科村ほか四か村組合高等小学校に奉職する。 |
1896年(明治29) | 穂高尋常小学校長となる。 |
1899年(明治32) | 穂高高等小学校長となる。 |
1902年(明治35) | 南安曇郡視学となる。 |
1906年(明治39) | 更科郡視学となる。 |
1908年(明治41) | 豊科村ほか四か村組合高等小学校長となる。 |
1909年(明治42)から1945年(昭和20) | 朝鮮黄海道の安岳学校長となる。 |
1945年(昭和20) | 終戦と共に朝鮮の任地を引揚げ、郷里踏入にて余生を送る。 |
1949年(昭和24)10月5日 | 死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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