小穴 寿枝|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052186 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小穴 寿枝
おあな としえ
「潮音」の中で、太田水穂と同格になった女流歌人。太田水穂の弟子。
生年月日 | 1895年(明治28) |
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没年月日 | 1944年(昭和19)1月26日 |
関連地域 | 豊科(踏入) |
職業・肩書 | 女流歌人。「潮音」に所属。 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
豊科踏入に生まれました。父親の弥三郎は、蚕種製造業で成功し、「中村屋」の屋号を持ち、1916年(大正5)には村会議員にも名を連ねました。その父親のもとで、何不自由なく育ちましたが、16歳の時に結核に冒され、入退院を繰り返す中で短歌を始めるようになりました。1920年(大正9)、松本で太田水穂を招いて「潮音」の歌会が開かれた際、長患いをした直後にもかかわらず、女性として一人出席、水穂から「はるばるよく来た」とねぎらいの言葉をかけられたことが、短歌への思いを強くしたようです。「潮音」に寿枝の歌が載るようになったのは1923年(大正12)からで、病と闘いながら、創作活動を行い、「信濃歌集名鑑」に南安曇郡の三歌人のうちの一人として掲載されました。歌集「念願」を出版しました。1943年(昭和18)に「潮音」の中で、太田水穂と同格になりました。
略歴譜
1895年(明治28) | 豊科踏入に生まれる。 |
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結核に冒され、以降病と闘う。 | |
1920年(大正9) | 松本で「潮音」の歌会が開かれ、太田水穂を招いた際、出席する。 |
1923年(大正12) | 「潮音」に寿枝の歌が載るようになる。 |
1931年(昭和6) | 父親が亡くなる。 |
1943年(昭和18) | 「潮音」の中で、太田水穂と同格になる。 |
1944年(昭和19)1月26日 | 死去。 |
参考文献
ラヴィオンローズ | 中島美澄子/著 | 安曇野市図書館 |
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