小山 潤一郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052188 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小山 潤一郎
こやま じゅんいちろう
明科大丁の主人、商工会に貢献。冬期、中川手小学校補習科生を指導。顧問をした「川手時報」や「川手公民」に何回も寄稿。文化人を明科に迎えることに努める。
生年月日 | 1894年(明治27)6月22日 |
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没年月日 | 1958年(昭和33)4月25日 |
関連地域 | 明科(中川手) |
職業・肩書 | 文化功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
明科中川手に生まれました。明治大学法学部を卒業し、帰郷して家業の商業を継ぎ、明科商工会に貢献しました。大正末期に、冬期間は、中川手小学校で補習科生を教えました。文筆に優れ、1933年(昭和8)に、中川手青年会で発刊した川手時報の顧問として、また1949年(昭和24)に発刊した川手公民に、何回も郷土史等を寄稿しました。短歌も山河や山火の会員として、好日庵主人というペンネームで投稿しました。文化人との交流も親密で、田中詮医師・中村善策画伯・岡麓等を明科へ迎える努力をして、明科の文化面に大きな功績を残しました。1958年(昭和33)4月25日に、亡くなりました。
略歴譜
1894年(明治27)6月22日 | 明科中川手に生まれる。 |
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松本中学校(現深志高等学校)を卒業する。 | |
明治大学法学部を卒業する。 | |
帰郷して家業の商業を継ぎ、明科商工会に貢献する。 | |
大正末期 | 冬期間は、中川手小学校で補習科生を教える。 |
1933年(昭和8) | 文筆に優れ、中川手青年会で発刊した川手時報の顧問として、郷土史等を寄稿する。 |
1949年(昭和24) | 川手公民が発刊し、何回も郷土史等を寄稿する。 |
短歌も山河や山火の会員として、好日庵主人というペンネームで投稿する。 | |
文化人との交流も親密で、田中詮医師・中村善策画伯・岡麓等を明科へ迎える努力をして、明科の文化面に大きな功績を残す。 | |
1958年(昭和33)4月25日 | 死去。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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