小室 孝雄|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052189 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小室 孝雄
こむろ たかお
画家。岡田三郎助に師事し、日本洋画壇で活躍。印象派的写実主義。
生年月日 | 1892年(明治25) |
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没年月日 | 1955年(昭和30)9月29日 |
関連地域 | 穂高(上原) |
職業・肩書 | 画家 |
活躍年 | 大正時代 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
穂高上原に生まれました。1914年(大正3)、岡田三郎助に師事して本郷洋画研究所に通い、油絵の研究に精進しました。1917年(大正6)に、第9回文部省美術展覧会に初入選し、その才器が認められました。東京の杉並区に居を構えて制作し、画風は印象派的写実主義で、その技巧は非常に優れていました。片倉氏の後援紹介によって、朝鮮・満州・北支に画行脚を送り、信濃毎日新聞重役西沢氏の推薦を受けて信毎紙上に挿画を描きました。また、農学校時代の恩師、後の陸軍主計中将西原氏の推薦により、従軍画家として北支・中支・南支に写実の絵筆を握りました。池上秀畝・中村不折・丸山晩霞等の諸先輩と協力し奔走して、信濃美術会を創立したほか、各美術団体の委員を務め、郷土と日本洋画壇に幾多の功績を残しました。
略歴譜
1892年(明治25) | 穂高上原に生まれる。 |
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1914年(大正3) | 岡田三郎助に師事して本郷洋画研究所に通い、油絵の研究に精進する。 |
1917年(大正6) | 第9回文部省美術展覧会に初入選し、その才器が認められる。 |
東京杉並区西荻窪に住み、画家の生活をする。 | |
片倉氏の後援紹介によって、朝鮮・満州・北支に画行脚を送る。 | |
信濃毎日新聞重役西沢氏の引き立てによって、信毎紙上に挿画を描く。 | |
恩師で、後の陸軍主計中将西原氏の推薦により、従軍画家として北支・中支・南支に写実の絵筆を揮(ふる)う。 | |
春台美術会・新日本美術連盟・緑巷会等の美術団体に関係して、日本洋画壇に活躍する。 | |
池上秀畝・中村不折・丸山晩霞等の諸先輩と協力し奔走して、信濃美術会を創立する。 | |
画風は印象派的写実主義で、技巧は非常に優れる。 | |
各美術団体の委員として重きをなし、郷土並びに日本洋画壇に幾多の功績を残す。 | |
1955年(昭和30)9月29日 | 病気のため死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市図書館 |
安曇野の美術 | 丸山楽雲/編 | 安曇野市図書館 |
1993穂高町出身の芸術家総合遺作展 | 総合遺作展実行委員会/編 |