小平 総治|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052194 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小平 総治
こだいら そうじ
日中親善に尽力。陸軍省通訳官。
生年月日 | 1876年(明治9) |
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没年月日 | 1935年(昭和10)10月18日 |
関連地域 | 穂高 |
職業・肩書 | 外交官 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 政治(政治) |
経歴
穂高に生まれました。21歳の時に上京して、二松学舎に入り、三島中洲の教えを受け、後に宮島大八方に身を寄せて善隣書院に学びました。1898年(明治31)、長谷川秦に随伴して、中国の広東に1年間遊学しました。1900年(明治33)、中国で義和団事変が起り、陸軍省通訳官として中国北部に従軍しました。後に、川島浪速の薦めによって、華北の警務学童監督に命じられ、中国国民の教化啓発に当りました。1907年(明治40)には、漢口東亜製粉会社に招聘されて実業界で活躍しました。1910年(明治43)に武昌で革命が起こり、漢口領事館に勤務することになりました。1914年(大正3)、選ばれて10年間粛親王の邸に入り、王府内外の事務に従い、子女の訓育に努めました。1932年(昭和7)に満州国独立の際、執政府内務官に任ぜられました。
略歴譜
1876年(明治9) | 穂高に生まれる。 |
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二松学舎に入り、学僕となって三島中洲の教えを受け、後に宮島大八方に身を寄せて善隣書院に学ぶ。 | |
1898年(明治31) | 長谷川秦に随伴して、中国の広東に1年間遊学する。 |
1900年(明治33) | 中国で義和団事変が起り、陸軍省通訳官として中国北部に従軍する。華北の警務学童監督となり、中国国民の教化啓発に当る。 |
1907年(明治40) | 漢口東亜製粉会社に招聘されて実業界で活躍する。 |
1909年(明治42) | 武昌高等巡警学童教習となる。 |
1910年(明治43) | 武昌で革命が起り、漢口領事館に勤務する。 |
1914年(大正3) | 選ばれて10年間粛親王の邸に入り、王府内外の事務に従い、子女の訓育に努める。 |
1926年(大正15) | 満鉄会社嘱託として中国北部公所で情報事務に携わる。 |
1932年(昭和7) | 満州国独立の際、溥儀執政に召され、執政府内務官に任ぜられる。信任を得、建国功労賞を受賞。 |
満州国政治機構の改変に際し、創設国立博物館主事に転じ、新京から奉天に移り3年間務める。 | |
1935年(昭和10)10月18日 | 病気のため帰郷し、死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市図書館 |