小林 玄秀|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052196 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小林 玄秀
こばやし げんしゅう
明科で医院を開業する。何度も流出した信犀橋を私財を投じて架ける。小林茂樹(医師、別掲参照)の父。
生年月日 | 1843年(天保14)7月1日 |
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没年月日 | 1903年(明治36)12月31日 |
関連地域 | 明科(下押野) |
職業・肩書 | 医師 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 社会(医療厚生) |
経歴
明科下押野に生まれ、小林家の養子となりました。小林茂樹(医師、別掲参照)の父に当ります。1861年(文久元)に、明科木戸に医院を開業しました。
1877年(明治10)には、隠岐正三等と共に、木戸・荻原間へ信犀橋を架けました。1880年(明治13)、1893(明治26)に洪水で流失しました。その度に私財を投じて信犀橋を架け続けました。
1903年(明治36)12月31日に亡くなりました。
略歴譜
1843年(天保14)7月1日 | 明科下押野に生まれる。 |
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1861年(文久元) | 明科木戸に医院を開業する。 |
1877年(明治10) | 隠岐正三等と共に、木戸・荻原間へ信犀橋を架ける。 |
1880年(明治13) | 洪水で流失し、再度、信犀橋を架ける。 |
1893年(明治26) | 洪水で流失し、私財を投じて3代目の信犀橋を架ける。 |
1903年(明治36)12月31日 | 死去。 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
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