小林 茂樹|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052247 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
小林 茂樹
こばやし しげき
医学得業士の資格を得、開業。貧困者からは一文の診料をも受けず、地域の人々は救世主の如く尊敬した。
生年月日 | 1878年(明治11)5月23日 |
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没年月日 | 1958年(昭和33)3月6日 |
関連地域 | 明科(木戸) |
職業・肩書 | 医師 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 社会(医療厚生) |
経歴
明科木戸の代々医家に生まれました。1886年(明治19)に松本中学校(現深志高等学校)を卒業し、第四高等学校 医学部を経て、医学得業士(とくぎょうし)の資格を得、父のあとを継いで東川手に開業しました。日露戦争には、陸軍一等軍医として従軍し、正七位勲六等功五級に叙せられました。帰還後、学校医として長年勤続し、県教委表彰を受けました。診察の労を惜しまなかった上、貧困者から一文の診料も受けなかったため、地域の人々は、救世主の如く尊敬しました。村の歴史にも詳しく、大正時代に郡誌別篇地名調査員となって、村内の地名を調査しました。書画にも造詣が深く、多くの書画を蔵して、村人に見せていました。明治神宮を木戸の聖域に勧請し、毎年11月3日に部落一同でお祭りを行い、2名ずつの代参人を東京へ送りました。
略歴譜
1878年(明治11)5月23日 | 明科木戸の代々医家に生まれる。 |
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1886年(明治19) | 松本中学校を卒業する。 |
第四高等学校を経て医学得業士の資格を得、父のあとを継いで東川手で開業する。 | |
日露戦争には、陸軍一等軍医として従軍し、正七位勲六等功五級に叙せられる。 | |
帰還後、東筑摩郡会議員に選出され、在郷軍人会東筑摩連合分会長、東川手消防組頭、遺族会長等を歴任する。 | |
学校医として長年勤続し、県教委表彰を受ける。 | |
診察の労を惜しまなかった上、貧困者から一文の診料をも受けず、地域の人々は、救世主の如く尊敬する。 | |
村の歴史にも精しく、大正時代に郡誌別篇地名調査員となって、村内の地名を調査する。 | |
書画にも造詣が深く、多くの書画を蔵して村人に見せる。 | |
明治神宮を木戸の聖域に勧請し、毎年11月3日に部落一同でお祭りを行い、2名ずつの代参人を東京へ送る。 | |
1958年(昭和33)3月6日 | 死去。 |
参考文献
東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 | 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 | 安曇野市図書館 |
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明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |