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松岡 平臣|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052201 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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松岡 平臣
まつおか へいしん

国学者、歌人。

生年月日 1786年(天明6)
没年月日 1849年(嘉永2)12月14日
関連地域 三郷(下長尾)
職業・肩書 国学者・歌人
活躍年 江戸時代以前
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

三郷下長尾に生れ、幼名を次郎左衛門といい、いくつもの雅号を持っていましたが、中年以後は平臣を号しました。国学を出雲の神官中村文太夫守臣に学びましたが、親友の内山真弓が京都へ出て香川景樹の門人となったのに刺激され、1820年(文政3)、和歌山の本居太平の門人となり、彼の紹介で松坂の本居春庭、山田の足代弘訓の門人となって国学・歌道に勤しみました。帰郷後、学び舎「春の舎社」を創り、歌道を中村英碩・村上栄州・岩原袋玄等と研鑽を積むとともに、各地から訪れる文人・墨客を家に留めて歌道を楽しみました。著書は、『浅間のすさび』・『花がたみ』・『日影かづら』・『古事記雑案』等14、5冊あり、詠草はおよそ2万余首に及びました。

略歴譜

1786年(天明6) 0歳 三郷下長尾に生れる。幼名を次郎左衛門といい、いくつもの雅号を持っていたが、中年以後は平臣を号する。
    国学を出雲の神官中村文太夫守臣に学ぶ。
1820年(文政3)   親友の内山真弓が京都へ出て香川景樹の門人となったのに刺激され、和歌山の本居大平の門人となる。
    本居大平の紹介で松坂の本居春庭、山田の足代弘訓の門人となって国学・歌道に勤しむ。
    帰郷後、「春の舎社」という学び舎を創り、歌道を中村英碩・村上栄州・岩原袋玄等と研鑽を積むとともに、各地から訪れる文人・墨客を家に留めて歌道を楽しむ。
    主な著書:「浅間のすさび」・「花がたみ」・「日影かづら」・「古事記雑案」等14、5冊に及ぶ。
    詠草はおよそ2万余首に及ぶ。
1849年(嘉永2)12月14日 63歳 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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