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松島 虎男|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052203 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

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松島 虎男
まつしま とらお

拾ヶ堰土地改良区総務理事及び理事長を20年間にわたって勤め、拾ヶ堰の改修に尽力する。また、農業協同組合運動の先駆者として米価運動に献身するとともに、あづみ農協の基盤づくりに貢献する。

 

生年月日 1902年(明治35)
没年月日 1974年(昭和49)11月
関連地域 堀金(下堀)
職業・肩書 自治功労者
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

堀金下堀に生れました。南安北部農学校(現:穂高商業高等学校)に進学し勉学に励んだ後、家業に就き、下堀榊青年会長として活躍しました。青年時代から強い信念と鋭い頭脳と実行力によって、人々の信頼を集め、積極的に公職に就き、異例の若さで区長や村会議員等の多くの要職を歴任し、地方公共のために貢献しました。特に、拾ヶ堰土地改良区総務理事及び理事長を20年間勤めました。その間、山口村長と共に戦後の食糧不足対策として拾ヶ堰の改修を訴え、地元選出の県会議員や国会議員に陳情を重ね、1950年(昭和25)、遂に拾ヶ堰の改修が農林省に認められました。また、農業協同組合運動の先駆者として米価運動に献身するとともに、農協合併に際しては農協合併設立委員として、あづみ農協の基盤づくりに貢献しました。

略歴譜

1902年(明治35) 堀金下堀に生れる。
  家業に就き、推されて下堀榊青年会長として活躍する。
  積極的に公職に就き、下堀区長・烏川村議会議員・郡農業委員会長等多くの公職を歴任し、地方公共のために貢献する。
  拾ヶ堰土地改良区総務理事・理事長を20年間勤める。
1950年(昭和25) 山口村長と共に食糧不足対策として拾ヶ堰の改修を訴え、地元選出の県会議員や国会議員に陳情を重ね、拾ヶ堰の改修が農林省に認められる。
1960年(昭和35) 10年間にわたる拾ヶ堰の改修工事が竣工する。
  農業協同組合運動の先駆者として、米価運動に献身する。農協合併に際しては、農協合併設立委員として、あづみ農協の基盤づくりに貢献する。
  農林省東京農地事務局長・全国町村議長会・長野県知事より表彰を受ける。
1974年(昭和49)11月 死去。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会/編 安曇野市図書館

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