上条 癸|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052205 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
上条 癸
かみじょう みずのと
岡谷病院長を務めた後、郷里に開業、信望を集めた。数多くの要職に就くとともに、光地区の明科町への分村合併に奔走。
生年月日 | 1895年(明治28)1月11日 |
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没年月日 | 1974年(昭和49)5月22日 |
関連地域 | 明科(中条) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 社会(医療厚生) |
経歴
明科中条に生まれました。1920年(大正9)に新潟医専(現新潟大学医学部)を卒業し、岡谷病院に勤めた後、明科光で開業し、医師として信望を集めました。明科町教育委員・塩筑医師会会長・長野県交通安全協会理事・柔道中信支部長(6段)・上川手小・中学校校医・川手中学校校医・明科中学校校医等の要職に就き、人望があり、常に指導的立場に立ちました。特に、光地区の明科町への分村合併に当り、寝食を忘れ日夜奔走し、実現を果しました。また、明科で最も早く、昭和初年から自家用車に乗り、生涯にわたり安全運転に徹しました。長年の学校医としての功績により、勲章を授けられました。1974年(昭和49)5月22日に、亡くなりました。
略歴譜
1895年(明治28)1月11日 | 明科中条に生まれる。 |
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1915年(大正4) | 松本中学校(現深志高等学校)を卒業する。同級に桜井武平・高津作吉・百瀬二郎らがいた。 |
1920年(大正9) | 新潟医専を卒業する。 |
1922年(大正11) | 明科光で開業し、医師として信望を集める。 |
新潟医専付属病院勤務、岡谷病院長に就任する。 | |
上川手村小学校PTA会長・同村教育委員・上川手小・中学校校医・川手中学校校医・明科中学校校医に就任する。 | |
明科町教育委員・塩筑医師会会長・長野県交通安全協会理事・柔道中信支部長(6段)等の要職に就く。 | |
松筑交通安全協会長・長野県社会保険審査委員も務め、沈着果断、人望があり、常に指導的立場に立つ。 | |
光地区の明科町への分村合併に当り、寝食を忘れ日夜奔走し、実現を果す。 | |
明科で最も早く、昭和初年から自家用車に乗り、生涯にわたり安全運転に徹する。 | |
長年の学校医としての功績により、勲章を授けられる。 | |
1974年(昭和49)5月22日 | 死去。 |
参考文献
東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 | 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 | 安曇野市図書館 |
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明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
新潟大学公式ホームページ |