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森山 儀文治|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052208 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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森山 儀文治
もりやま ぎぶんじ

普通選挙運動に尽力。衆議院議員、弁護士。

生年月日 1863年(文久3)
没年月日 1945年(昭和20)2月9日
関連地域 三郷(七日市場に養子。生れは塩尻市広丘郷原。)
職業・肩書 弁護士・自治功労者・県議会議員・国会議員
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 政治(政治)

 

経歴

東筑摩郡広丘村字郷原(塩尻市広丘郷原)に生れました。1878年(明治11)、三郷七日市場の森山家の養子となりました。21歳の若さで代言人(弁護士)の試験に合格し、直ちに松本で弁護士を開業し、松本市弁護士界の重鎮として、地方自治発展のために貢献しました。清廉な性格で、困っている人の訴訟には無料で弁護し、向学に燃える書生は次々に進学させ、後に弁護士になった者も10余人を数えました。仕事に熱心で、法律上の相談に訪れる人が後を絶たず、弁護士会でも次第に重きをなすようになりました。推されて松本市会議員、松本市議会議長、長野県会議員を歴任したほか、松本選挙区で第1回代議士となり、松本高等学校(現信州大学文理学部)誘致を実現させたり、県庁の松本移庁に努力したりしました。

略歴譜

1863年(文久3) 0歳 広丘村字郷原(塩尻市広丘郷原)に生れる。
1878年(明治11)   三郷七日市場の森山家の養子となる。
    長野県師範学校に通う。
    法律学校(明治大学の前身)に入学する。
  21歳 代言人(弁護士)の試験に合格し、直ちに松本市に弁護士を開業する。
    困っている人の訴訟には無料で弁護し、向学に燃える書生は次々に進学させ、後に弁護士になった者も10余人を数える。
    仕事に熱心で、法律上の相談に訪れる人が後を絶たず、弁護士会でも次第に重きをなすようになる。
    推されて松本市会議員、松本市議会議長、長野県会議員を歴任する。
    松本選挙区で第1回代議士となる。
    県会在任中に、県庁の松本移庁に努力する。
    松本高等学校誘致の運動に献身的な努力をして、設置に成功する。
1945年(昭和20)2月9日 82歳 亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
三郷村誌1 三郷村誌編纂会/編 安曇野市立図書館

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