青木 祥二郎|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052245 印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月25日更新
青木 祥二郎
あおき しょうじろう
重要無形文化財保持者(総合認定)の能楽師。現在の市の薪能のきっかけを作る。名誉市民。
生年月日 | 1914年(大正3)8月10日 |
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没年月日 | 1999年(平成11)9月10日 |
関連地域 | 明科(明科) |
職業・肩書 | 能楽師。重要無形文化財保持者(総合認定)。 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(芸術) |
経歴
明科中川手明科に生れ、本名は匡(ただし)と言いました。1928年(昭和3)、高等小学校1年終了と同時に郷里を出て、後に志を立て、能楽の道に入りました。内弟子時代は、苦しく又厳しい修業を積みました。1942年(昭和17)1月、独立して「観世流師範」の免許を許されました。1968年(昭和43)12月、「職分格」に昇格し、1978年(昭和53)5月28日に、重要無形文化財保持者(総合認定)の認定を受けました。1988年(昭和63)10月16日には、能の道にある者の望む最終の目標とも言われる、能楽最高の秘曲「姨捨」を斯道60年の記念に開曲する等、能楽一途に伝統芸術の振興と創造に努めました。明科で行われている薪能に出演し、地域の芸術文化の振興にも大きな功績を残しました。
略歴譜
1914年(大正3)8月10日 | 0歳 | 明科中川手明科に生れる。本名は匡と言う。 |
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1928年(昭和3)4月 | 13歳 | 京都市の日本画家、今尾景祥師の学僕となり、傍ら観世流の謡曲を修得する。 |
1933年(昭和8)7月 | 18歳 | 観世流職分、片山博通師に内弟子として入門し、能修業に専念する。 |
1942年(昭和17)1月 | 27歳 | 独立して「観世流師範」の免許を許される。 |
1968年(昭和43)12月 | 54歳 | 観世流「職分格」に昇格する。 |
1975(昭和50)から 1987年(昭和62) |
61から73歳頃 | 明南小学校に、管楽器及び図書資金として200万円を寄贈する。 |
1978年(昭和53)5月28日 | 63歳 | 重要無形文化財(総合認定)保持者の認定を受ける。 |
1985年(昭和60)11月 | 71歳 | 明科町町制施行30周年記念に能舞会を催す。 |
1987年(昭和62)10月 | 73歳 | 能楽師の最高位「観世流職分」に昇格する。 |
1988年(昭和63)10月16日 | 74歳 | 観世流宗家より、能楽最高の秘曲「姨捨」の開曲を許される。 |
1989年(平成1) | 75歳 | 3月定例議会において、明科町名誉町民第一号に選定される。 |
1999年(平成11)9月10日 | 85歳 | 病気のため亡くなる。 |
参考文献
文化庁公式ホームページ |
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