青木 真良|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052215 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
青木 真良
あおき まさよし
医業・寺子屋師匠。「博愛堂」と称し、門人200人余を数える。潮学校が開校し、訓導となる。
生年月日 | 不詳 |
---|---|
没年月日 | 1884年(明治17)4月29日 |
関連地域 | 明科(潮施行田) |
職業・肩書 | 医業・寺子屋師匠・訓導 |
活躍年 | 江戸時代以前 |
ゆかりの分野 | 文化(教育) |
経歴
明科潮施行田に生まれました。篤操と号しました。1850年(嘉永3)に、京都で漢学・医学を修め、1853年(嘉永6)に帰郷し、医業及び寺子屋師匠をし、博愛堂と称しました。人柄は温雅、よく衆を容れ、儒学を講じ、筆法を授け、門人は200人余となりました。1873年(明治6)、潮学校の開校とともに、訓導(校長)となり、1880年(明治13)まで勤めました。1882年(明治15)5月には、門人一同で、長野県令大野誠の篆額(てんがく)、生野臨犀撰文で、自筆の寿蔵の碑を建てました。
略歴譜
生年不詳 | 明科潮施行田に生れる。諱(いみな)は真良で、篤操と号する。 |
---|---|
1850年(嘉永3) | 京都で漢学・医学を修める。 |
1853年(嘉永6) | 帰郷し、医業及び寺子屋師匠をし、博愛堂と称する。 |
人柄は温雅、よく衆を容れ、門人は200人余となる。 | |
1873年(明治6) | 潮学校の開校とともに、訓導(校長)となり、1880年(明治13)まで務める。 |
1882年(明治15)5月 | 門人一同で、長野県令大野誠の篆額、生野臨犀撰文で、自筆の寿蔵の碑を建てる。 |
1884年(明治17)4月29日 | 死去 |
参考文献
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |
---|