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青柳 巴|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052219 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

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青柳 巴
あおやぎ ともえ

「三千里」の俳号を持ち、安曇節の名句を残した。

生年月日 1894年(明治27)
没年月日 1975年(昭和50)5月
関連地域 堀金(下堀)
職業・肩書 自治功労者・俳人
活躍年 昭和時代
ゆかりの分野 文化(文芸)

 

経歴

堀金下堀に生れました。農業に従事し、抜群の指導力によって青年会長に推され、活躍しました。方面委員となり、困窮者の救済やボランティア活動に努めました。戦後は、烏川農協理事、耕地総代を勤め、1955年(昭和30)、堀金村議選に出馬し当選、村政刷新に向け数々の実績を挙げました。この間、堀金村森林組合理事、南安曇猟友会監事、下堀共有山委員長、烏川漁業組合長、第2拾ヶ堰土地改良区理事長、堀金老人クラブ会長等を歴任し、公共事業に貢献しました。囲碁・将棋を趣味とし、1961年(昭和36)に、日本棋院より「初段」の免許を受けました。俳句は号を「三千里」と称し、青年時代はホトトギス等で熱心に学び、「安曇節」に名作を残し、「堀金音頭」の作詞を行いました。

略歴譜

1894年(明治27) 0歳 堀金下堀に生れる。
    堀金小学校を卒業する。
    農業に従事し、抜群の指導力によって青年会長に推され、活躍する。
    方面委員を勤め、困窮者の救済やボランティア活動に努める。
    戦後は、烏川農協理事、耕地総代を勤める。
1955年(昭和30)   堀金村議選に出馬し当選、村政刷新に向け数々の実績を挙げる。
    堀金村森林組合理事、下堀共有山委員長、第2拾ヶ堰土地改良区理事長、堀金老人クラブ会長等を歴任する。
1961年(昭和36)   囲碁・将棋を趣味とし、日本棋院より「初段」の免許を受ける。
    俳句は号を「三千里」と称し、青年時代はホトトギス等で熱心に学ぶ。
    「安曇節」に名作を残し、「堀金音頭」の作詞を行う。
    日記を数十年にわたって書き続け、その中に名句を残す。岩魚と松茸取りの名手でもあった。
1975年(昭和50)5月 80歳 亡くなる。

参考文献

堀金村誌 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 安曇野市立図書館

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