青柳 巴|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052219 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
青柳 巴
あおやぎ ともえ
「三千里」の俳号を持ち、安曇節の名句を残した。
生年月日 | 1894年(明治27) |
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没年月日 | 1975年(昭和50)5月 |
関連地域 | 堀金(下堀) |
職業・肩書 | 自治功労者・俳人 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
堀金下堀に生まれました。農業に従事し、抜群の指導力によって青年会長に推され、活躍しました。方面委員となり、困窮者の救済やボランティア活動に努めました。戦後は、烏川農協理事、耕地総代を勤め、1955年(昭和30)、堀金村議選に出馬し当選、村政刷新に向け数々の実績を挙げました。この間、堀金村森林組合理事、南安曇猟友会監事、下堀共有山委員長、烏川漁業組合長、第2拾ヶ堰土地改良区理事長、堀金老人クラブ会長等を歴任し、公共事業に貢献しました。囲碁・将棋を趣味とし、1961年(昭和36)に、日本棋院より「初段」の免許を受けました。俳句は号を「三千里」と称し、青年時代は「ホトトギス」等で熱心に学び、「安曇節」に名作を残し、「堀金音頭」を作詞しました。
略歴譜
1894年(明治27) | 堀金下堀に生まれる。 |
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堀金小学校を卒業する。 | |
農業に従事し、抜群の指導力によって青年会長に推され、活躍する。 | |
方面委員を勤め、困窮者の救済やボランティア活動に努める。 | |
戦後は、烏川農協理事、耕地総代を勤める。 | |
1955年(昭和30) | 堀金村議選に出馬し当選、村政刷新に向け数々の実績を挙げる。 |
堀金村森林組合理事、下堀共有山委員長、第2拾ヶ堰土地改良区理事長、堀金老人クラブ会長等を歴任する。 | |
1961年(昭和36) | 囲碁・将棋を趣味とし、日本棋院より「初段」の免許を受ける。 |
俳句は号を「三千里」と称し、青年時代は「ホトトギス」等で熱心に学ぶ。 | |
「安曇節」に名作を残し、「堀金音頭」を作詞する。 | |
日記を数十年にわたって書き続け、その中に名句を残す。岩魚と松茸取りの名手でもあった。 | |
1975年(昭和50)5月 | 死去 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市図書館 |
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