ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

曽根原 林三|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052228 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新

曽根原 林三の写真

拡大表示

曽根原 林三
そねはら りんぞう

天蚕飼育の開発。

生年月日 1842年(天保13)
没年月日 1887年(明治20)12月9日
関連地域 穂高(新屋)
職業・肩書 蚕業功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

穂高新屋に生まれました。36歳のとき、東京に天蚕社を設立して社長となります。千葉県に出張した際に調達した、柞蚕(さくさん)繭20粒から蚕を飼育し、1879年(明治12)秋と翌年春・秋、翌々年春の計4回で、蚕繭を4万2千粒に増やしました。1881年(明治14)に、自宅に開源社を設立して社長となり、種繭を社員に売り、同社でも飼育するなどして、南安曇郡における柞蚕飼育の道を開きました。翌年、一般へも広めるため、柞蚕の餌となる柞(クヌギの一種)の種も配布して増産を図ったので、有明地方を中心に普及し、天蚕飼育と相まって名声を高めました。穂高小岩嶽荒堰地区の約10ヘクタールのクヌギ林で柞蚕飼育を行ったほか、手取水車で糸を取る特殊な技術者を雇い入れて山蚕の製糸も始めました。この製糸は林三の死後、1902年(明治35)まで行われています。狩猟が好きで、愛犬家の一面もありました。1914年(大正3)に、南安曇郡長から柞蚕開源社宛に表彰状が贈られています。

略歴譜

1842年(天保13) 穂高新屋に生れる。
1877年(明治10) 有明地方で天蚕飼育が行われる。
  東京に天蚕社を設立し、社長となる。
1879年(明治12) 天蚕教師として千葉県に出張した際、柞蚕繭を20粒調達し、柞蚕の秋蚕を飼育。
1880年(明治13) 前年に引き続き、春と秋に柞蚕を飼育。、1881年(明治14)
1881年(明治14) 前年に引き続き、春に柞蚕を飼育。明治12年に調達した蚕繭を4万2千粒まで増粒させる。自宅に開源社を設立して社長となる。
1882年(明治15) 柞蚕の有明地方への普及に努める。
1887年(明治20)12月9日 死去。
1914年(大正3) 南安曇郡長から柞蚕開源社宛に表彰状が贈られる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館

皆さまのご意見を
お聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?