曽山 環翠|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052229 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
曽山 環翠
そやま かんすい
俳句宗匠として、郡下の俳人に大きな影響を与えた。篆刻に優れ、多くの作品を遺した。
生年月日 | 1881年(明治14) |
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没年月日 | 1973年(昭和48) |
関連地域 | 堀金(下堀) |
職業・肩書 | 俳句宗匠・篆刻家 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 文化(文芸) |
経歴
堀金下堀に生まれました。病気を機に俳句の道に入り、句作に専念するかたわら、八幡香霜に就いて漢学を学びました。1901年(明治34)に豊科に居を構え、各地で俳句大会を開き、郡下の俳人に大きな影響を与えました。大正の初め、師の勧めにより中国に渡り、篆書(てんしょ)と篆刻を学びました。帰国後、香霜に就いて篆刻を学び、秀れた作品を数多く遺しました。また、俳句を京都の花ノ本聴秋(二條公爵)に師事し、萩ノ本環翠の雅号と宗匠を允許(いんきょ)され、京都において俳誌「鴨東新誌」を発行しました。1928年(昭和3)には、柿ノ本号の免状と柿ノ本十二世を拝命し、宗匠俳人として県下各所で俳句選者を務め、門下は1000人を超えました。頭山満から「清夢」の名を受けています。
篆刻の代表的な作品は、豊科の一乗寺・豊科公民館・松本駅玄関・松本秀峰中等教育学校(旧松南高等学校)・善光寺雲上殿・玄番稲荷等でみることができます。
略歴譜
1881年(明治14) | 堀金下堀に生まれる。 | |
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松本中学校(現深志高等学校)に進学する。 | ||
病気を機に俳句の道に入る。 | ||
句作に専念するかたわら、八幡香霜に就いて漢学を学ぶ。 | ||
1901年(明治34) | 豊科に居を構える。 | |
大正初期 | 中国に渡り、篆書と篆刻を学ぶ。 | |
帰国後、香霜に就いて篆刻を学ぶ。 | ||
俳句を京都の花ノ本聴秋(二條公爵)に師事し、萩ノ本環翠の雅号と宗匠を允許され、京都において俳誌「鴨東新誌」を発行する。 | ||
1928年(昭和3) | 柿ノ本号の免状と共に柿ノ本十二世を拝命する。 | |
1950年(昭和25) | 豊科に「きさらぎ俳句会」が結成され、中村草田男らを招いて、「万緑長野県俳句大会」を主催する。 | |
1956年(昭和31)から 1969年(昭和44) |
堀金村文化祭俳句展の選者を務める。 | |
1970年(昭和45) | 90歳を記念して、文化祭に曽山環翠作品展が開催される。 | |
1973年(昭和48) | 92歳で死去。 |
参考文献
堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |
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