倉科 多策|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052230 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
倉科 多策
くらしな たさく
明科駅・国営明科製材所・県営養鱒場設置に尽力。
生年月日 | 1865年(元治2)1月31日 |
---|---|
没年月日 | 1939年(昭和14)11月21日 |
関連地域 | 明科(明科) |
職業・肩書 | 自治功労者 |
活躍年 | 昭和時代 |
ゆかりの分野 | 社会(社会事業) |
経歴
明科中川手明科に生まれました。1926年(大正15)に、私財5万円を投じ、湧水を利用して中川手の竹田信平と明科養鱒場を設け、長野県に無償で貸与しました。さらに年々数千円を寄附し、養鱒(ようそん)事業の達成に努力し、親魚の池中養成に成功しました。1931年(昭和6)には、全国河川養殖研究会長より表彰されました。この他に、県水産指導所の設置・明科駅の招致・明科国営製材所の招致及び敷地の払い下げ・明科水力発電所の設置・明科簡易水道敷設・白馬自動車の明科誘致等で尽力しました。また、私財を投じて県へ働きかけ、犀川堤防設置・わさび栽培の発展・明科駅前の公園設置等に貢献しました。安曇の政治にも力を入れ、県道槍ヶ岳線の開発の先頭に立ち、多くの安曇の名士達が多策氏を訪れました。
略歴譜
1865年(元治2)1月31日 | 明科中川手明科に生まれる。 |
---|---|
1926年(大正15) | 私財5万円を投じ、湧水を利用して中川手の竹田信平と明科養鱒場を設け、長野県に無償で貸与する。 |
年々数千円を寄附し、養鱒場の達成に努力し、親魚の池中養成に成功する。 | |
1931年(昭和6) | 全国河川養殖研究会長より表彰される。 |
県水産指導所設置・明科駅招致・明科国営製材所招致と敷地払下げ・明科水力発電所設置・明科簡易水道敷設等に尽力する。 | |
私財を投じて県へ働きかけ、犀川堤防設置・わさび栽培の発展・明科駅前に公園の設置等に貢献する。 | |
明科より池田へ私鉄を敷設しようとしたが、地元の反対にあって断念し、白馬自動車を明科へ誘致する。 | |
安曇の政治にも力を入れ、県道槍ヶ岳線の開発の先頭に立ち、多くの安曇の名士たちが多策氏を訪れる。 | |
若者に「無から有を生み出す闘志を持たねばならぬ」と説教する。 | |
1939年(昭和14)11月21日 | 死去。 |
参考文献
東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 | 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 | 安曇野市図書館 |
---|---|---|
明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |