倉田 為吉|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052231 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新
倉田 為吉
くらた ためきち
天明行者といわれ有明山を開く。
生年月日 | 1846年(弘化3) |
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没年月日 | 不詳 |
関連地域 | 堀金(扇町) |
職業・肩書 | 天明行者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 文化(宗教) |
経歴
堀金扇町に生れました。有明山を開いた行者。盗みをしたと罵(ののし)られたことが発心の動機となりました。梓川立田の一平行者の許へ身を寄せ、田屋の宝積院で並隆法印について山伏の行法を修得し、花見の樽沢不動滝で一の行を成し遂げ、天明行者と称しました。明治の初め、有明山を開こうと決心し、1873年(明治6)に、表山道を踏み鎮め険しい谷を越え、幾度か危険を冒して、有明山頂上に有明山神社の奥社を安置しました。下山後は、祈祷(きとう)をして病む人々を助け、山野の薬草の効用を説いてその処方を教え、治療を施して人々の為に尽しました。信者や弟子達も増えて、正式に有明教を自立し有明講社を結成し、弟子や信者の協力を得て有明山神社里宮を建立しました。1875年(明治8)に、有明山頂上に有明山神社の奥社の鳥居を設置しました。
略歴譜
1846年(弘化3) | 0歳 | 堀金扇町の倉田庄七の長男として生れる。 |
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幼時より信仰心厚く、山伏の修験者が来ると、その後について村内を巡り歩く程であった。 | ||
近所の家の盗賊と誤られ家を出て、梓川立田の一平行者の許へ身を寄せる。 | ||
田屋の宝積院で並隆法印について山伏の行法を修得し、花見の樽沢不動滝で一の行を成し遂げ、天明行者と称した。 | ||
明治初年 | 有明山を開こうと決心する。 | |
1873年(明治6) | 表山道を踏み鎮め、険しい谷を越え、幾度か危険を冒して頂上に達し、有明山頂上に有明山神社の奥社を安置する。 | |
下山後は祈祷をして病む人々を助け、山野の薬草の効用を説いてその処方を教え、治療を施して人々の為に尽す。 | ||
正式に有明教を自立し、有明講社を結成、弟子や信者の協力を得て、有明山神社里宮を建立する。 | ||
天明行者の恩恵に浴した者は数知れず、病気平癒の感謝の気持ちを込めて、各地に天明霊神の石像や石碑が建てられている。 | ||
1875年(明治8) | 有明山頂上に、有明山神社の奥社の鳥居を設置する。 | |
没年不詳 | 病気平癒の祈祷中に亡くなる。 | |
1895年(明治28) | 神道実行教管長から、わが国では稀な大教正の位が追贈される。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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堀金村誌 | 堀金村誌編纂委員会・堀金村公民館/編 | 安曇野市立図書館 |