相馬 愛蔵|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052232 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
相馬 愛蔵
そうま あいぞう
研成義塾を開くよう提案し援助。良と結婚、東京で夫婦連携による中村屋というサロンを開く。新商人道を提唱、多くの芸術家・文学者・国際的活動家の輩出にも力を注ぐ。
生年月日 | 1870年(明治3) |
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没年月日 | 1954年(昭和29)2月14日 |
関連地域 | 穂高(白金) |
職業・肩書 | 実業家 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(経済) |
経歴
穂高白金に生れました。東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科を卒業後、郷里に帰り、専ら養蚕の研究に没頭し、「蚕種製造論」「秋蚕飼育法」を著わして、蚕業界の進歩改善に貢献しました。1901年(明治34)、上京して、パン食を奨励するため、本郷の中村屋を譲り受けてパン屋を開業し、苦労の末、新宿で中村屋を開業しました。荻原碌山を始め中村彝(つね)・山本安曇等の芸術家を援護しました。1928年(昭和3)に百貨店研究と北欧における酪農畜産視察のため欧州を旅行しました。帰国後、多くの著書を出して、広い視野と体験に基づく商道の信念を平明懇切に説きました。早くから店員の人格向上のために、情操を涵養(かんよう)する施設等も作りました。
略歴譜
1870年(明治3) | 穂高白金に生れる。 | |
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東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科を卒業する。 | ||
郷里に帰り、専ら養蚕の研究に没頭し、「蚕種製造論」「秋蚕飼育法」を著わして、蚕業界の進歩改善に貢献した。 | ||
1901年(明治34) | 上京して、パン食を奨励するため本郷の中村屋を譲り受けてパン屋を開業する。 | |
試行錯誤の末、新宿で中村屋を開業し、成功する。 | ||
荻原碌山を始め中村彝・山本安曇等を援護する。 | ||
1928年(昭和3) | 百貨店研究と北欧における酪農畜産視察のため欧州を旅行する。 | |
帰国後、多くの著書を出して、広い視野と体験に基づく商道の信念、後進への指針を平明懇切に説く。 | ||
早くから店員の待遇改善をはかり、人格向上のため、情操を涵養する施設等も作る。 | ||
1954年(昭和29)2月14日 | 死去。 |
参考文献
南安曇郡誌第三巻下 | 南安曇郡誌改訂編纂会/編 | 安曇野市立図書館 |
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穂高町誌 | 穂高町誌編纂委員会/編 | 安曇野市立図書館 |
写真:がいどぶっく 穂高ものがたり | 中島 博昭/著 | 安曇野市立図書館 |