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相馬 黒光|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052233 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年4月4日更新

相馬 黒光の写真

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相馬 黒光
そうま こっこう

中村屋サロンの中心的存在。作家。相馬愛蔵の妻。

生年月日 1876年(明治9)
没年月日 1955年(昭和30年)3月20日
関連地域 穂高(白金。仙台市出身。)
職業・肩書 作家
活躍年 大正時代
ゆかりの分野 経済(経済)

 

経歴

新宿中村屋の創業者。仙台市旧屋敷町に生れました。名は良、旧姓は星、幼名は菱、号を黒光と称しました。宮城女学校(現宮城学院)、横浜フェリス女学校を経て、明治女学校在学中に東京専門学校(現早稲田大学)を卒業しました。北海道を遊歴し、相馬愛蔵を知りました。1897年(明治30)に明治女学校を卒業し、翌年に穂高白金の相馬家に嫁入りました。家事の暇に、東京の「女学雑誌」に寄稿しました。黒光は苦労の末に、東京本郷赤門前のパン屋中村屋を譲り受け、やがて新宿に移転した中村屋を、夫の愛蔵とともに努力を重ね、商才を発揮して発展させました。また、印度の志士ボース等の保護に当ると共に、芸術家等文化人が集う中村屋サロンの中心的存在でした。60歳頃、作家活動を再開し、「黙移」等を著しました。

略歴譜

1876年(明治9) 0歳 仙台市旧屋敷町に生れる。名は良、旧姓は星、幼名は菱、号は黒光と称する。
    片平町尋常小学校、東二番町高等小学校を卒業し、宮城女学校に進学する。
    横浜フェリス女学校を経て、明治女学校在学中に東京専門学校(現早稲田大学)を卒業する。
    北海道を遊歴し、郷土の文化指導等に抱負をもっていた時、相馬愛蔵を知る。
1897年(明治30)   明治女学校を卒業し、翌年、穂高白金の相馬家に嫁入りする。
    東京の「女学雑誌」に寄稿する。
    東京本郷赤門前のパン屋中村屋を譲り受け、やがて新宿に移転して発展させる。
    印度の志士ボース等の保護に当ると共に、芸術家等文化人が集う中村屋サロンの中心的存在となる。
    仏教に帰依し、渡辺海旭・大島徹水等の高僧に師事する。
  60歳頃 作家活動を再開し、「黙移」等を著す。
1955年(昭和30)3月20日 79歳 急病のため、亡くなる。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館
穂高町誌 穂高町誌編纂委員会/編  安曇野市立図書館
写真:がいどぶっく 穂高ものがたり 中島 博昭/著 安曇野市立図書館

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