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多田 道弥|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052236 印刷用ページを表示する 掲載日:2015年10月29日更新

多田 道弥
ただ みちや

蚕種の究理の方法を長期にわたって研究して、遂に順温法による究理方法を発見し、蚕業の発展に貢献する。

生年月日 1850年(嘉永3)
没年月日 1910年(明治43)5月3日
関連地域 三郷(中萱)
職業・肩書 蚕業功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

三郷中萱に生れました。1865年(慶応1)、蚕種の究理を安曇稲核の前田長次の風穴を利用して試験し失敗しましたが、青木久四郎宅で種々試験を重ねて、変性しない発生温度を確認できました。
1868年(明治1)に、東筑摩郡武石峠で究理を続けて、良好な結果を得たので、自宅に地下室を設け、10年間研究を続けて、ほぼ完成の域に達しました。しかし、地下室での究理は、蚕児を虚弱にすることを発見し、1882年(明治15)、堀金の岩穴と風穴で実験しましたが、成果を得られませんでした。同年、安曇の奥原勝衛・上条百次郎の風穴を改良し、順温法によってよい結果を得ることができました。
この究理法が広く知られるようになり、各所で有志の者に伝授しました。1910年(明治43)5月3日に、病のために亡くなりました。その年の秋、功労が認められ、農商務大臣から表彰されました。

略歴譜

1850年(嘉永3) 0歳 三郷中萱に生れる。
1865年(慶応1)   安曇稲核の前田長治の風穴を利用して、蚕種の究理を試験したところ、かえり種となって失敗する。
    青木久四郎宅で種々試験を重ねた結果、変性しない発生温度を確認できる。
1868年(明治1)   東筑摩郡武石峠の茶屋の一部を借り、究理を続けて、良好な成果を得る。
1869年(明治2)   自宅に地下室を設け、10年間究理の方法の研究を続け、ほぼ完成の域に達する。
1882年(明治15)   地下室での究理は、蚕児を虚弱にすることを発見し、堀金烏川岩原大水沢の岩穴と堀金藤原弥長治所有の風穴で実験を行う。
1882年(明治15)   安曇の奥原勝衛・上条百次郎両人の風穴を改良し、順温法によって試みて良い成果を得る。
1904年(明治37)   諏訪郡玉川村に招かれ、開発した究理法について教える。
1905年(明治38)   山形県南村山郡滝川村に招かれ、開発した究理法について教える。
1909年(明治42)   福島県で有志の人に開発した究理法について教える。
1910年(明治43)5月3日   病気のため亡くなる。
1910年(明治43)秋   農商務大臣大浦兼武から表彰される。

参考文献

南安曇郡誌第三巻下 南安曇郡誌改訂編纂会/編 安曇野市立図書館

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