ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

大月 亀吉|安曇野ゆかりの先人たち

記事ID:0052238 印刷用ページを表示する 掲載日:2024年3月22日更新

大月 亀吉
おおつき かめきち

熊本藩士の門人となり諸国を遊歴。柔術は無双流、剣術は一刀流の免許皆伝。算術を究め家塾にて教授。犀川境界川除論で活躍。明治時代、村政・教育に貢献。

生年月日 1828年(文政11)11月7日
没年月日 1917年(大正6)2月12日
関連地域 明科(北村)
職業・肩書 塾主・自治功労者
活躍年 明治時代
ゆかりの分野 経済(産業)

 

経歴

明科北村に生れました。志を文武に寄せ、大志を抱き、熊本藩士松本英之輔の門人となり、諸国を遊歴しました。柔術無双流、剣術一刀流免許皆伝を取り、珠算を究め、家塾を開いて子弟に教えました。幕末に、重柳村と犀川境界川除論の時は大活躍し、光村を有利に導きました。
明治になってから、上川手村・中川手村外二か村連合村会議員、上川手村戸長役場筆生、光学校事務係等を勤め、村政・教育に貢献しました。1904年(明治37)には、門弟は美徳を称し、中信地区では唯一の算塚を建てました。1917年(大正6)2月12日に、亡くなりました。

略歴譜

1828年(文政11)11月7日 0歳 明科北村に生れる。
    志を文武に寄せ、大志を抱き、熊本藩士松本英之輔の門人となり、諸国を遊歴する。
    柔術無双流、剣術一刀流免許皆伝を取る。
    珠算を究め、家塾を開き子弟を教える。
    幕末に重柳村と犀川境界川除論の時は大活躍し、光村を有利に導く。
明治   上川手村・中川手村外二か村連合村会議員、上川手村戸長役場筆生、光学校事務係等を勤める。
1904年(明治37)   門弟は美徳を称し、中信地区では唯一の算塚を建てる。
1917年(大正6)2月12日 88歳 亡くなる。

参考文献

東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 安曇野市立図書館
明科町史 明科町史編纂会/編 安曇野市立図書館

皆さまのご意見を
お聞かせください

お求めの情報が充分掲載されてましたでしょうか?
ページの構成や内容、表現は分りやすかったでしょうか?
この情報をすぐに見つけられましたか?