大月 亀吉|安曇野ゆかりの先人たち
記事ID:0052238 印刷用ページを表示する 掲載日:2025年1月27日更新
大月 亀吉
おおつき かめきち
熊本藩士の門人となり諸国を遊歴。柔術は無双流、剣術は一刀流の免許皆伝。算術を究め家塾にて教授。犀川境界川除論で活躍。明治時代、村政・教育に貢献。
生年月日 | 1828年(文政11)11月7日 |
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没年月日 | 1917年(大正6)2月12日 |
関連地域 | 明科(北村) |
職業・肩書 | 塾主・自治功労者 |
活躍年 | 明治時代 |
ゆかりの分野 | 経済(産業) |
経歴
明科北村に生まれました。志を文武に寄せ、大志を抱き、熊本藩士松本英之輔の門人となり、諸国を遊歴しました。柔術無双流、剣術一刀流免許皆伝を取り、珠算を究め、家塾を開いて子弟に教えました。幕末に、重柳村と犀川境界川除論の時は大活躍し、光村を有利に導きました。
明治になってから、上川手村・中川手村外二か村連合村会議員、上川手村戸長役場筆生、光学校事務係等を勤め、村政・教育に貢献しました。1904年(明治37)には、門弟は美徳を称賛し、中信地区では唯一の算塚を建てました。1917年(大正6)2月12日に、亡くなりました。
略歴譜
1828年(文政11)11月7日 | 明科北村に生まれる。 |
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志を文武に寄せ、大志を抱き、熊本藩士松本英之輔の門人となり、諸国を遊歴する。 | |
柔術無双流、剣術一刀流免許皆伝を取る。 | |
珠算を究め、家塾を開き子弟を教える。 | |
幕末に重柳村と犀川境界川除論の時は大活躍し、光村を有利に導く。 | |
明治 | 上川手村・中川手村外二か村連合村会議員、上川手村戸長役場筆生、光学校事務係等を勤める。 |
1904年(明治37) | 門弟は美徳を称賛し、中信地区では唯一の算塚を建てる。 |
1917年(大正6)2月12日 | 死去 |
参考文献
東筑摩郡・松本市・塩尻市誌別篇人名 | 東筑摩郡・松本市・塩尻市/編 | 安曇野市図書館 |
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明科町史 | 明科町史編纂会/編 | 安曇野市図書館 |